利子内親王とは? わかりやすく解説

利子内親王

(式乾門院 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 13:39 UTC 版)

利子内親王
第87代天皇准母
皇后 天福元年6月20日1233年7月28日
式乾門院
院号宣下 延応元年11月13日1239年12月9日

誕生 建久8年(1197年
崩御 建長3年1月2日1251年1月25日
父親 守貞親王(後高倉院)
母親 持明院陳子
役職 伊勢斎宮
内親王宣下 嘉禄2年11月26日1226年12月16日
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利子内親王(としこないしんのう、建久8年(1197年) - 建長3年1月2日1251年1月25日))は、鎌倉時代皇族伊勢斎宮四条天皇准母皇后宮、女院院号式乾門院(しきけんもんいん)。法名は真性智。父は守貞親王(後高倉院)、母は持明院基家女・陳子(北白河院)。同母弟に後堀河天皇、同母妹に邦子内親王(安嘉門院)がいる。

生涯

嘉禄2年(1226年)11月26日、30歳で内親王宣下を受け、同母弟後堀河天皇の斎宮に卜定安貞元年(1227年)4月29日左近衛府初斎院入り。同年9月24日野宮へ移る。安貞2年(1228年)9月19日伊勢群行寛喜元年(1229年)4月准三后貞永元年(1232年)10月4日後堀河天皇譲位により退下。天福元年(1233年)2月5日帰京。同年6月20日甥の四条天皇准母として皇后宮に冊立される。延応元年(1239年)11月13日病により出家し、同日女院となる。建長3年(1251年)1月2日55歳で崩御

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