庖刀式
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全国の高橋姓の人物の発展と食の技術向上を願って、毎年5月に古式の包丁さばきである大草流包丁道を披露する「庖刀式」が行われる。「庖刀式」は古来より行われていたが廃絶していた。しかし、2015年より神事として復活して行われるようになった。
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庖刀式
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大草流庖刀式は厳粛な祈りの儀式で見世物ではない。儀式に参加した人々は、身分立場の違いこそあれ、決して観客ではなく参加者であり、それを正式には参禱者と言う。つまり共に祈る人たちなのである。今でも儀式人以外の参禱者たちにも何らかの役目を求める事は多く残っている。例えば黙祷である。黙祷では、黙祷を求める人も、求められる人も皆参加者であり、観客は存在しないのである。 かつては庖刀式だとか庖丁式とか言う言葉はなかった。ただ、儀式における庖丁の作法が伝わってきただけである。その儀式と言うのは、決して庖刀式ではない。一つの儀式張った行事である。その行事の中の一部分に庖丁人の役目があり、その時その時の作法次第の事を後になって庖刀式と呼んでいるに過ぎない。大草のその行事の中で、最も大切なものとして祈り、つまり奉禱の主旨があり、それを念頭に置かないと大草の儀式は誤解を招く。大草の庖刀作法の一部分だけを取り上げれば、間違いなく庖刀の儀式作法だから庖刀式と言うのも、あながち間違いではないが、室町時代の古文書を紐解いても庖刀式と言う言葉は出てこない。大草の庖刀式は、細かい孤儀と言われる儀式が組み合わさって一つの庖刀式になっている。では、庖刀式は幾つの弧儀によって成り立っているかと言うと、基本的には五つの弧儀が組み合わさってできている。一般的には、それが庖刀式だと思われている部分も庖刀ノ儀と呼ばれる一つの弧儀でしかない。しかし、この部分は庖丁人である以上、最も重要である。色々な弧儀のうち、他の部分が省かれる事があっても、庖刀ノ儀は省かれる事はなく、庖刀ノ儀は大草儀式の主要部分である。その庖刀ノ儀もまた、さらに細分化される。庖刀ノ儀は大きく三つの部分からなる。初めの部分を「かかり」と言う。真ん中の部分を「庖刀」と言い、神仏への供物を庖刀でもって捌く。最後の部分は「おさめ」と言い、その捌かれたものを捧げて式具を納めて終わる。 大草の伝承にある花の御所での祈り事は、猿楽狂言の影響も受け、高度な納式形態が練られた時もあったと言う。基本的な儀式構造の原型はこの時期に固まったと言われる。しかし、ある時点で時代を同じくしたとは言え、猿楽狂言と徹底的に違うのは観客の有無である。猿楽狂言には、必ず観客が存在したのに対し、大草儀式に観客と言うものは存在しなかった。 庖刀式は、鯉、カツオ、キジなどを庖丁刀と真魚箸(まなはし)を使い、一切手を触れることなく捌くもので81の手がある。また、捌いた後の切り身の置き方にも種類があり、その座の趣向や吉凶などに合わせて組み合わせを変える。 まな板は、漢字で俎板などとも書くが大草流では盤(ばん)と言い、元来、一木造りのまな板で朴、柳、檜で作られた盤を使用する。大草流は神仏分離前の神仏習合時代に確立したため、密教や修験道、時宗、神道との関連も深く、式の最中に呪文を唱えたり、声を出さず念じたりもする。 呪文の一例 「沙伐応 さばおー 沙伐応 さばおー 美蓮護霊施 みれごれせ 反多迷里 はんためり 護霊施 ごれせ 畝蓮般汰 むれはんた 道道多羅里 とうとうたらり 道多羅里 とうたらり」 この他、諏訪大社の真言を唱える例などがある。 大草流では「真」、「行」、「草」の三つの型(三才)がある。 真の型は神社仏閣、またはそれに匹敵する正式な場所で行うもので、装束も古式に則って行われる。その伴奏音曲は必ず雅楽とされ、曲目も「越天楽」や「平常楽」、少しくだけて「太食調」などが主だが、その時の主旨(つまり三則五応・・・時、場所、場面。何を、いつ、どこで、なぜ、どのようにして。)によって一様ではない場合もある。その動作、姿勢は隠陽の構え、日月のさばきなど種々決まっており、ほとんどその型通りに行われる。 行の型は「真」より派手な型で、一般行事や宴席などで行うことを許されるのはこの型が多い。その動作は、庖士によりその時々の創作が多少加えられてもよい事になっている。装束は「真」における装束でもよく、また十文字袴でもよく、草の型の和服でもかまわない。音曲も必ずといった規定は「行」にはないが、正式な雅楽は真の型以外では使ってはいけないことになっている。草の型には原則として介添えがなく、庖丁運び、三方供えも一人で行い、装束も、もっとも簡単な和服にたすき掛けということになっている。「草」の音曲は筝曲が多いが、時によっては詩吟で行われることもある。また、音曲なしという場合もある。 以上、三つの型にそれぞれ「真」、「行」、「草」の三つの型があり合計九つの仕分けになる(三才九式(さんさいこのしき))。庖刀式に使われる食材は魚、鳥、野菜であるが、これは真行草と関係なく用いられる。 盛載(せいさい)は、盛り付けの事で名称には、「久遠の鯉」とか「光琳の鳥」などのように、三方(または盆、台等)へ盛った形が一つの字になることから来るもの、「飛龍の鰹(行、草のみ)」などのように、盛られたその形そのものが一つの意味を持つもの、「山沢の菜」、「荒磯の慶」のように材料の取り合わせに意味を持つもの、目的(供養等)から来る名称等、その他様々ある。 庖刀式の動作、振りは「構(カマエ)、決(キメ)、裁(サバキ)、断(タチ)、法(ハコビ)」の五か法に分かれ、各々がまた数多くの型を持ち、更に、突(ツキ)、引(ヒキ)、滑(ナメリ)、掛(カケ)、返(カエシ)、捻(ヒネリ)などが絡み、いくつかが組み合わさって一つの小さな儀式が形成される。それを「コギ(弧儀または孤儀と書く)」という。そのような「弧儀」がさらにいくつか組み合わさり、それらが流れるように続けて行われて初めて一つの庖刀式になるのである。 まな板各部の名称は図の通り言うが、心、上、向、目付、脇、前を総称して、一心五位と言う。 大草流には家元という言い方はなく頭家(とうや)と呼んでいた。また、それとは別に式主(しきす)という言い方もあるのだが、これは単体の行事式典の頭目という意味である。
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