左翼パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 05:06 UTC 版)
『ウェルル祭壇画』の左翼パネルには、制作依頼主のハインリヒ・フォン・ウェルルの名前がラテン語で書かれ、「1438年にケルンの地方修道会管区長ハインリヒ・フォン・ウェルルがこの絵画を描かせた (Anno milleno c quater x ter et octo. hic fecit effigiem...depingi minister hinricus Werlis magister coloniensis )」と読むことができる。フォン・ウェルルはオスナブリュックの小さき兄弟の修道会の一員だった。1430年に大学で学ぶためにケルンに移住し、ケルンの地方修道会管区長に任命される以前の1435年には教導士 (en:Magister (degree)) の学位を受けた。おそらくフォン・ウェルルはケルンの小さき兄弟の修道会修道院のためにこの作品を注文したのではないかと考えられている。その後、管区長の任を引退したフォン・ウェルルはオスナブリュックへと戻り、1463年に同地で死去した。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} ヤン・ファン・エイクの1434年の作品『アルノルフィーニ夫妻像』の背景に描かれた凸面鏡。二人の人物が描かれているのがわかる。 『アルノルフィーニ夫妻像』から4年後の作品『ウェルル祭壇画』の背景に描かれた凹面鏡。 左翼パネルには、ひざまずいて祈りを捧げるフォン・ウェルルと洗礼者ヨハネが丸天井をもつ室内に描かれている。カンピンは1430年代初めからヤン・ファン・エイクからの影響を強く受けだした画家で、この左翼パネルにもヤン・ファン・エイクの作品から様々な要素が取り入れられている。天井から降りそそぐ光の表現、観る者の背景を映し出している凸面鏡などの繊細な表現は、ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた『アルノルフィーニ夫妻像』から、この作品に借用されたものである。左翼パネルに描かれている依頼主と聖人を記した銘の書体も、ヤン・ファン・エイクの優美で装飾的な書体に非常によく似ている。 『ウェルル祭壇画』は、三連祭壇画の主題たる中央パネルに依頼主が描かれていない時期の典型的な祭壇画である。補題である翼パネルに依頼主を描くかわりに、中央パネルに描かれている聖なる存在を左翼から垣間見ることができる構図を与えている。カンピンが1422年以降に描いた『メロードの祭壇画』では、依頼主が左翼パネルの庭先に描かれているのに対し、この作品では屋内に描かれている。『メロードの祭壇画』で左翼パネルに描かれた扉が、左翼パネルの依頼主と中央パネルの受胎告知を受ける聖母マリアとをつないでいる。しかしながら、その扉は開かれているとはいえ、依頼主と聖母マリアの視線が合うようには描かれていない。ヤン・ファン・エイクとは違って、カンピンの初期の祭壇画は中央パネルには聖なる存在しか描かないという、それまでの祭壇画の様式に則ったものだった。『ウェルル祭壇画』でも、依頼主は屋内に描かれてはいるが、主役ではなく単なる傍観者の役割しか与えられていない。また、三連祭壇画は描かれた聖者に関する知識を伝える役割も担っているが、これにもヤン・ファン・エイクの影響が見られる。この左翼パネルに依頼主フォン・ウェルルとともに描かれた洗礼者ヨハネは子羊を持っており、依頼主よりも重要な役割を持って表現されている。
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左翼パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 06:32 UTC 版)
左翼パネルには、キリストを身ごもっているためにお腹を大きく膨らませている、赤い衣装の聖母マリアが、親類で洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトを訪問している場面が描かれている。マリアの夫であるヨセフと、エリザベトの夫であるザカリアが彼女らの後方に描かれている。
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左翼パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 02:09 UTC 版)
左翼パネルは4つの異なるエピソードが描かれている。画面の上部では反逆した天使たちの戦いと彼らが天国から追放されるまでの物語の起源を描いている。特筆に値するのはボスが神に背いたために天国から投げ出された天使たちを描いた方法であり、天使たちはいずれもヒキガエルや昆虫を合成したような巨大な生物に変身している。その下では『旧約聖書』「創世記」で語られているエデンの園でのアダムとイヴの創造と、禁断の知恵の木の実を食したことによる原罪、そして楽園からの追放の3つの場面が描かれている。原罪の場面では蛇は女性の頭と爪のある手を持つ姿で描かれており、蛇が勧める知恵の木の実をイヴはすでに左手に受け取っている。ボスが特に注意を傾けているのは最前景で描かれている楽園追放であり、剣を振り上げた大天使はアダムとイヴがそれまで生活していた楽園と外界を隔てる入口の外に2人を追い払っている。
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左翼パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 02:09 UTC 版)
「聖アントニウスの誘惑の三連祭壇画」の記事における「左翼パネル」の解説
左のパネルは聖アントニウスの伝説的な飛行と墜落を描いている。空では聖人は多くの悪魔から攻撃を受けて打ち倒されている。下部では聖人の洞窟(または売春宿)があり、入口が洞窟の中に四つん這いで入る男の後ろ姿の形に削られている。神聖な祭服を着た悪魔と鹿に率いられて、不敬虔な行列が売春宿に向かう道を教えている。前景には疲れ果てた聖アントニウスがいて、墜落後、僧侶と平信徒に支えられている。後者は伝統的にボス自身とされてきた。凍った湖に架けられた橋の下には3人の人物がいる。そのうちの1人は僧侶であり、手紙を読んでいる。また湖には鳥の姿をした悪魔がスケート靴を履いて滑っている。そのくちばしには、「太った」と書かれたカルトゥーシュをくわえている。これは聖職売買のスキャンダルへの言及である可能性がある。
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左翼パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 15:19 UTC 版)
「最後の審判の三連祭壇画 (ウィーン美術アカデミー)」の記事における「左翼パネル」の解説
左翼パネルは4つの異なるエピソードが異時同図法的に描かれているが、その内容は『乾草車』の左翼パネルと同じであり、反逆天使の天国からの追放と、『旧約聖書』「創世記」で語られているエデンの園でのアダムとイヴの創造、原罪、楽園追放である。ただし描かれている順番が『乾草車』とは異なっており、画面の上から順に反逆天使、楽園追放、原罪、そして画面下の最前景にアダムとイヴの創造が描れている(『乾草車』では反逆天使、アダムとイヴの創造、原罪、楽園追放)。楽園追放ではアダムとイヴは剣を振り上げた大天使によって鬱蒼とした深い森の中に追放されている。このように1つの画面に反逆天使とアダムとイヴの物語を描いた画家はヒエロニムス・ボスが最初であると言われている。しかしこの2つの主題は聖アウグスティヌスの『神の国』をはじめ、中世の初期から文学、演劇、神学において一連のものとして語られており、ボスは正統思想に基づいて描いている。
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左翼パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:12 UTC 版)
地上の楽園、あるいはエデンの園を描いたもの。前景中央部には、キリストの姿をした神がアダムにイヴをめあわせる様子が描かれ、周囲には多くの種類の動物や植物が見られて、色調は明るく、いかにも穏やかな雰囲気が感じられる。しかし左下手前では食肉獣が獲物をくわえて歩いており、右後方ではライオンが獲物を襲っていて、決して単なる平和な世界ではない。また中景右端には蛇が巻き付いた木があって、これはアダムとイヴが禁断の木の実を食べることを象徴している。中央部には奇妙な形の塔が立ち、ボス特有のシュールレアリスム的な雰囲気が漂う。
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