本山
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本山(ほんざん)は、日本の仏教の特定の宗派内において、特別な位置づけをされている寺院を指す。上方本寺ともいう。宗派によっては中枢機能を有する寺院も多い。対義語は末寺。
位置づけによって、総本山、大本山、別格本山、本山などの区別があるほか、宗派によってそれぞれの用法が異なり、使用されないこともある。たとえ寺院が山中と呼べる場所に無くても、「本山」と呼ばれることは多い。
また、日本仏教以外の宗教においても、例えば「バチカン市国はカトリックの総本山で…」のように便宜的に、また、日常的に使用されることがある。
起源
いつ頃に成立したのかは不明であるが、江戸時代に入り、宗教統制のために本山・末寺の制度を本末制度として強化し、各宗派の本山を統制することで、仏教界全体を統制した。
関連項目
大本山(根本道場)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:49 UTC 版)
両大本山の住職を貫首といい、2人の貫首が2年交代で管長(宗門代表)となる。管長は、有資格者で立候補者から選挙によって選出される宗門最高の位階。 尊称として住んでいる場所にちなみ、永平寺貫首を不老閣猊下(ふろうかくげいか)、総持寺貫首を紫雲台猊下(しうんたいげいか)とも呼ぶ。 永平寺 - 福井県永平寺町貫首:南澤道人(みなみさわ どうにん)禅師 寺紋:久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋) 寛元2年(1244年)に、道元が越前の波多野義重の要請で開く。永平寺東京別院(長谷寺) - 東京都港区 永平寺名古屋別院 - 愛知県名古屋市東区代官町 永平寺鹿児島出張所(紹隆寺) - 鹿児島県姶良市平松 總持寺 - 横浜市鶴見区貫首:石附周行(いしづきしゅうこう)禅師 寺紋:五七桐紋 元亨元年(1321年)に、瑩山紹瑾が能登の定賢律師の要請で石川県輪島市門前町に開く。明治31年(1898年)に火災で焼失し、明治44年(1911年)に現在地に移転。總持寺祖院 - 明治38年(1905年)より元の地(石川県輪島市門前町)に復興 總持寺北海道別院(法源寺) - 北海道松前郡松前町松城 歴史的には正法寺(岩手県奥州市)が奥羽二州の本山、大慈寺(熊本県熊本市南区)が九州本山であった期間があるが、元和元年(1615年)の寺院法度により永平寺、總持寺のみが大本山となる。また、江戸時代に来日した明僧、東皐心越によって開かれた曹洞宗寿昌派は祇園寺(茨城県水戸市)を本山とした。心越の法系は道元と別系であったが明治維新後、合同した。
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大本山と同じ種類の言葉
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