大慈寺 (熊本市)とは? わかりやすく解説

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大慈寺 (熊本市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/14 08:15 UTC 版)

大慈寺(だいじじ)

大慈寺本堂
所在地 熊本県熊本市南区
位置 北緯32度43分59.8秒 東経130度41分21.6秒 / 北緯32.733278度 東経130.689333度 / 32.733278; 130.689333 (大慈寺 (熊本市))座標: 北緯32度43分59.8秒 東経130度41分21.6秒 / 北緯32.733278度 東経130.689333度 / 32.733278; 130.689333 (大慈寺 (熊本市))
山号 大梁山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦三尊
別称 大慈禅寺
文化財 梵鐘
寒巌義尹文書
法人番号 8330005000533
大慈寺
熊本駅
熊本市における位置
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大慈寺(だいじじ)は熊本県熊本市南区にある曹洞宗寺院。山号は大梁山(だいりょうざん)。元九州本山。修行道場として僧堂がある。本尊釈迦三尊。「大慈禅寺(だいじぜんじ)」の名でも知られる。

開山寒巌義尹後鳥羽天皇順徳天皇とも)の皇子であったため、朝廷との結びつきが深く、紫衣を許可され、曹洞宗の九州本山として寒巌派の拠点となっていたが、度重なる火災で衰退した[1]

歴史

開山の寒巌義尹(1217 - 1300)は、道元に参禅した曹洞宗の僧で、2度の入宋の後、博多聖福寺を経て肥後に住した。地元の地頭河尻泰明は寒巌に帰依し、境内地を寄進して、弘安元年(1278年)、大慈寺が創建された。寺は亀山法皇勅願寺となり、正安2年(1300年)に本堂が完成した。

正平年間(1346年 - 1370年)に焼失し、大雲化縁が再興。その後も中世を通じてたびたび焼失と再興を繰り返した。永正17年(1520年)には戦乱に巻き込まれて焼失。再興するも天文9年(1540年)にも戦乱に巻き込まれて焼失、天文15年(1545年)に再興した。

近世に入っても火災があり、享禄2年(1629年)に再興、明和5年(1768年)にも焼失している。

明治時代初期には廃仏毀釈で荒廃。昭和9年には河川改修工事により、境内地が削られている。昭和期には澤木興道が滞在し、坐禅を指導。昭和60年に再興された。

伽藍

文化財

重要文化財(国指定)

  • 梵鐘 - 弘安10年(1287年)銘
  • 寒巌義尹文書
    • 伽藍草創偈
    • 寒巌義尹自賛像(永仁己亥)(絹本)
    • 大渡橋幹縁疏(建治2年5月日)
    • 大渡橋供養記(弘安元年7月晦日)
    • 宝塔幹縁疏(正応2年5月16日)
    • 発願文(永仁元年12月8日)

その他

俳句

所在地

  • 熊本県熊本市南区野田1丁目7-1

交通

出典

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、658-659頁
  2. ^ 日本談義社『熊本文学ノート』荒木精之、1957年、92頁

関連図書

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