大慈寺 (岐阜県垂井町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大慈寺 (岐阜県垂井町)の意味・解説 

大慈寺 (岐阜県垂井町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 07:56 UTC 版)

大慈寺

所在地 岐阜県不破郡垂井町1689
位置 北緯35度21分31.9秒 東経136度31分36.1秒 / 北緯35.358861度 東経136.526694度 / 35.358861; 136.526694座標: 北緯35度21分31.9秒 東経136度31分36.1秒 / 北緯35.358861度 東経136.526694度 / 35.358861; 136.526694
山号 白華山
宗派 臨済宗妙心寺
本尊 十一面観音菩薩
創建年 文和3年(1354年)
開山 建長寺77世無外圓方
法人番号 1200005005007
テンプレートを表示

大慈寺(だいじじ)は、岐阜県不破郡垂井町宮代にある臨済宗妙心寺派(龍泉派春浦院下)の寺院。山号は白華山。南宮大社ゆかりの寺院である。

歴史

南宮大社の神馬が立て続けに死んでしまったため、その供養を目的として南宮大社の神職と僧侶が寺院の建立を発願し、文和3年(1354年)に建長寺8世東明慧日の法孫で建長寺77世の無外圓方を招いて建立された。現在でも神馬塚が残り、創建の由来を伝えている。その後、南宮大社の社僧として同社にあった地蔵堂と十王堂の別当を務めた。江戸時代に入ってからは南宮大社の社領のうち、15石4斗2升1合が割り当てられている。元禄11年(1698年)には建長寺派から妙心寺派へと転派した。明治時代に至り神仏分離が行われると、南宮大社で祀られていた諸仏を寺内に移している。太平洋戦争末期には愛知県名古屋市大杉国民学校の児童の疎開先となった[1]

境内

境内で祀られている地蔵菩薩は首から上の病に霊験があるとして穴あき石が納められるなどして信仰されている。

脚注

参考文献

  • 岐阜県不破郡教育會 編『不破郡志』下巻 p.405 1927年
  • 北区制50周年記念事業実行委員会 編『北区誌』北区制50周年記念事業実行委員会、1994年2月11日。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大慈寺 (岐阜県垂井町)」の関連用語

1
56% |||||

大慈寺 (岐阜県垂井町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大慈寺 (岐阜県垂井町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大慈寺 (岐阜県垂井町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS