垂下法の開発とは? わかりやすく解説

垂下法の開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 14:43 UTC 版)

広島かき」の記事における「垂下法の開発」の解説

明治大正まではひび建養殖メインで、養殖場満潮線と干潮線の間になる干潟限られていた。明治22年1889年宇品港広島港)が開港するが、その築港工事によって養殖漁場失われた仁保丹那周辺牡蠣海苔養殖漁民仕事求めて国外へ移民していったという(広島県人の移民)。その宇品港明治27年1894年日清戦争大日本帝国陸軍兵站拠点軍港)となり、呉も明治22年大日本帝国海軍呉鎮守府一大拠点となったことから、近代広島湾では軍事目的のため海面使用制限がされていた。明治30年1897年宇品付近カキ斃死した記録が残る。 大正時代になるとかき船盛況となり、その中でより質のいいものを増産し出荷しようと試み始まった当初は竹ひびの厚さ大きさ変えて試みられたものの、成果乏しかった大正12年1923年)県水産試験場草津支場竣工し、県によるカキ養殖技術開発拠点となったそうした中で筏式垂下法開発された。きっかけ呉海軍工廠船舶付着するカキを防ぐ船底塗料研究をしていたものによる「軍艦には大きなカキがつく。停泊中より航海中の方が、そして水面すれすれの所でより大きなカキがつく。」という研究発表ヒントになり、竹ひびを筏に垂下して船で牽引した潮流早いところ浮かべておいたり試行錯誤続いた現在の筏式垂下法の形は大正13年から14年192425年神奈川県金沢水産試験場試験実施されたものを、大正15年1926年)県水産試験場厳島大野瀬戸初め試験が行われた。結果良好であったが、当時筏に使っていたのがスギヒノキ波浪弱かったため、更に海面使用制限のため、その時点では普及しなかった。 1917年大正6年1937年昭和12年郡市数量(貫)価額(円)数量(貫)価額(円)佐伯郡632,317 85,492 598,980 74,522 広島市147,200 14,720 1,450,880 376,737 安芸郡202,370 29,784 145,860 38,816 呉市記録なし 15,300 2,601 賀茂郡21,500 2,580 15,850 3,607 豊田郡100 7 90,600 12,150 御調郡7,500 1,500 21,840 4,360 沼隈郡600 60 24,100 4,823 福山市深安郡)2,500 250 190 49 計1,014,087 134,393 2,363,600 517,665 広島県水産試験場同時並行試験していたのが、打式垂下簡易垂下)法であった。これも結果良好であったため昭和初期急速に広まった。さらに水産試験場簡易垂下による採苗法を開発し普及した。 ひび建+地蒔:筏垂下簡易垂下比率は、昭和10年1935年時点60%:5%:35%であったものが、昭和16年1941年)には22%:14%:64%と急速に垂下式へと移行している。参考として左に、大正6年1917年)/昭和12年1937年)のそれぞれ別の資料による県内市郡収穫量西側から順に示す。養殖中心広島県西部広島湾周辺であるが当時は県の沿岸部全て養殖が行われており、ひび建から垂下移行していく中で全体数量で倍以上拡大している。 昭和初期、種カキ遠くアメリカまで輸出されていたという。日持ちする殻付カキ大阪京都神戸など関西方面販売されむき身カキもっぱら広島や呉と県内消費されていたが大正末期から昭和初期になって県外販売されだした。かつてはかき船輸送耐えうる殻を主眼置かれていた養殖法が、むき身カキ流通しだすと殻の成長よりも身の大きさ肥満度主眼におく養殖法へと変わっていった。 行政および組合衛生対策指針策定最初に行われたのが1932年昭和7年)で、県は県牡蠣営業取締規制制定、県牡蠣水産組合水産組合検査規定作り地方長官現在の県知事認可をうけている。 現在の広島市周辺。"OYSTER BEDS"(カキ養殖場)や"STAKES"()が書かれている中央下が宇品港現在の呉市広地周辺当時広海軍工廠拠点。現在では沖でカキ養殖が行われているが、この時点では図示されていない養殖自体が行われていない)。 1945年米軍作成した地図近代における広島カキ生産量ピーク昭和16年1941年)になる。戦中生産量減っていき、昭和20年1945年)には終戦後経済困窮広島中心として西日本起きたカキ大量斃死により生産量で最低値記録したこの頃ワカという1年生カキの養殖中心となったきっかけ昭和17年1942年)の台風前年採苗した種カキ大半失ったため試験としてその年採苗したものをすぐに養成する販売可能なカキ育ったこと、昭和20年大量斃死において1年生カキ無事だったことが要因となり、養殖進められた。昭和25年1950年)頃はすべてのカキ1年生カキ生産されていた。現在の主流である筏による採苗も、元々は1年生カキ用に県水産試験場開発され技術である。その後2年生3年生カキの養殖復活したことにより減っていったが、1年生カキ昭和43年1968年)頃まで行われていた。

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垂下方式日本で最も多く行われている筏方式は、1950年代以降急速に普及拡大した技法である。ロープや針金に等間隔で付着基材となるホタテガイの貝殻を固定し、貝殻に付着したカキを潮通しの良い海域に設置した筏に吊す方法。季節毎に筏の設置場所を移動し、湾内の広い水域を養殖場として利用できる。このため効率が良く成長が早く、1年で出荷可能な大きさにまで育ち、大量生産が可能になった。しかし、筏垂下では成長に伴うロスのほか台風や時化により付着基材からカキが脱落したり、波浪のため筏が損傷したりする事がある。一方、延縄方式の養殖法を用いると脱落を減少させる事が可能であると報告されている。篭方式は主に「殻付きカキ」として流通させるカキを養殖する方法として行われる。ある程度の大きさに育った稚貝を網や篭に入れ、筏から吊す方法。貝の成長に伴い脱落するロスを減少させられるが、網内の貝密度が高いと成長が悪くなる。この方法による生産品のいくつかは『一粒かき』として地域ブランド化され流通している。杭打式の方式は、干潟に立てた竹杭に設置した横置きの竿や棚からロープや針金を吊す技法で、1930年代から1950年代まで行われ、筏方式の普及に伴い衰退した。地蒔

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