垂れ流しによる黄害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:53 UTC 版)
明治時代以来、列車便所は専ら「開放式」と称して、汚水管を線路上にそのまま開放し自然流下させるもので、便器の穴から線路が見えるストレートな構造のものもあった。古くは鉄道沿線に住宅がほとんどなく、田畑においても下肥が重用されていたような時代もあったにせよ、沿線の都市化が進んだ戦後に至るも、昭和末期に国鉄が分割民営化されるまで実態は長年にわたり変わらなかった。 1880年代以降、1950年代までの改良は、客車床板にただ穴を開けただけの初期の構造(開拓使号や東海道線の初期列車便所)から、開放位置を低くするため床下に円筒状ないし角筒状の流し管を取り付け、さらにはその流し管の先端にゴム製の暖簾状の導風具を取り付けて、極力地表面に近い位置で飛散させるようにする程度で、根本改良にはほど遠かった。 国鉄は汚物を流す際、水とともに処理液タンクからタール系の処理液を混合してその後、処理機で混合・粉砕し、脱臭タンクで殺菌・脱臭して車外排出する粉砕式汚物処理装置も開発し、1960年代に20系寝台車など一部の車両で用いた。しかし消毒・固化しているとはいえ汚物を外部飛散させていることに変わりはなく、それに加えて用便紙以外の異物流入による装置の不具合や故障などのトラブルも多かったため、1987年の国鉄分割民営化までに廃されている。 いずれにせよ、列車走行中でなければ汚物は自然飛散せずにそのまま直下に流下してしまうため、開放式便所の戸口には「停車中は使用しないでください」という札が付いていたが、それにもかかわらず使用されることは少なくなく、駅の中長距離列車用の乗降ホームではたびたび臭気が漂い、その方向を確認するとペーパーと共に屎尿物が放置されていることも多かった。汚物処理装置設置以前の国鉄当時の車両の便所には東北本線・高崎線用の車両には上野 - 大宮間、東海道本線・横須賀線用の共通運用車両では東京 ー 平塚間、中央本線用の車両では東京・新宿 ー 高尾間でトイレの使用を控えるような注意書きプレートが貼付してあった。関西地区では日根野電車区所属の車両で、紀勢本線以外の線区ではロックして使用禁止、東海道本線・山陽本線では京都 ー 西明石間で使用しないよう注意書きがしてあった。夜行列車が数多く運行される線区では、終着駅到着直前の朝の通勤時間帯に便所利用が集中することが多かった。垂れ流し時期の主に上り列車では、東京や大阪の近郊区間に使用禁止となるので、其の区間前や降車後の駅のトイレでの利用を余儀なくされた。 このため、当該沿線住宅地域では汚物飛散被害が生じ、またトンネルや地下線路内では拡散が期待できず、多くの主要駅構内では夏場に異臭が漂うなど、古くから問題が多かった。加えて車両や線路をも汚すため、保線区員や信号通信区員など鉄道の保守・整備・工事に従事する職員らからも批判が強かった。 JRグループでは、2002年3月に北海道旅客鉄道(JR北海道)の車両を最後に、垂れ流し便所付車両の運行を終了した(例外として垂れ流し便所を閉鎖した上で運行している車両は存在する)。
※この「垂れ流しによる黄害」の解説は、「列車便所」の解説の一部です。
「垂れ流しによる黄害」を含む「列車便所」の記事については、「列車便所」の概要を参照ください。
- 垂れ流しによる黄害のページへのリンク