広海軍工廠とは? わかりやすく解説

広海軍工廠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 12:36 UTC 版)

1924年呉市都市計画図
1945年呉市戦災概況図。
1945年にアメリカ軍が作成した広地区地図。

広海軍工廠(ひろかいぐんこうしょう)は、日本海軍の主に航空機開発を担った軍需工場(工廠)である。後に航空機部は第11海軍航空廠として独立し、太平洋戦争末期には第11空廠に統合された。

沿革

1921年1月15日、広島県賀茂郡広村(現、呉市)に呉海軍工廠広支廠として開設された。第一次世界大戦後の航空兵力の増強に対応するのが目的であった。当初は、航空機部、造機部、機関研究部、会計部が置かれた。

1923年4月1日、広海軍工廠として独立し、総務部、会計部、医務部、航空機部、造機部、機関研究部が置かれた。航空機部と機関研究部は、当時、他の海軍工廠には存在していなかった。1932年横須賀鎮守府に海軍航空工廠(後の「海軍航空技術廠」)が設置され、海軍の航空機研究・実験部門を集約していくこととなった。1935年4月5日、機関研究部が廃止された。1939年8月1日、罐を除く蒸気機関とその材料の実験を担う機関実験部、そして工作機械実験部を新設した。1942年4月1日、鋳物実験部を設置した。

1941年10月1日に航空機部が独立して、第11海軍航空廠が設置された。太平洋戦争中も生産は拡大していくが、戦局の悪化に伴い、工場疎開が検討されたが、米軍機の空襲を受けるようになり、1945年5月5日の集中爆撃により壊滅的な被害を受け、6月26日に廃止となり第11空廠に吸収された。

跡地のうち大部分は1951年より東洋パルプ(後の王子製紙)の製紙工場となり、現在は王子マテリア呉工場となっている。

年譜

  • 1921年1月15日 呉海軍工廠広支廠開庁
  • 1923年4月1日 広海軍工廠設置
  • 1930年8月20日 阿賀と工廠間を結ぶ従業員輸送船が130人を乗せたまま転覆。死者4人[1]
  • 1935年4月5日 機関研究部廃止
  • 1939年8月1日 機関実験部・工作機械実験部設置
  • 1941年10月1日 航空機部が独立、第11海軍航空廠設置
  • 1942年4月1日 鋳物実験部設置
  • 1945年5月5日 空襲により壊滅的損害
    • 6月26日 廃止され第11空廠に吸収

歴代工廠長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

  • 齋藤眞 造機少将:1923年4月1日 - 1923年8月13日
  • 宮崎虎吉 機関少将:1923年8月13日 - 1925年4月1日
  • 河合俊太郎 少将:1925年4月1日 - 1926年12月1日
  • 小倉嘉明 少将:1926年12月1日 - 1927年3月25日
  • 上田良武 少将:1927年3月25日 - 1927年12月1日
  • 黒田琢磨 少将:1927年12月1日 - 1929年11月30日
  • 伊藤孝次 造機中将:1929年11月30日 - 1930年12月1日
  • 臼井国 少将:1930年12月1日 - 1931年12月1日
  • 小野徳三郎 少将:1931年12月1日 - 1932年11月15日
  • 豊田貞次郎 少将:1932年11月15日 - 1934年5月10日
  • 山下兼満 少将:1934年5月10日 - 1935年11月15日
  • 福間忠戩 造機少将:1935年11月15日 - 1936年12月1日
  • 荒木彦弼 主計少将:1936年12月1日 - 1938年11月15日
  • 都築伊七 少将:1938年11月15日 - 1939年11月15日
  • 広瀬正経 中将:1939年11月15日 - 1940年10月1日
  • 渋谷隆太郎 少将:1940年10月1日 - 1941年11月20日
  • (兼)鉾立金矢 中将:1941年11月20日 - 1941年12月15日
  • 小林義治 少将:1941年12月15日 - 1943年8月20日
  • 藤井芳郎 少将:1943年8月20日 - 1944年9月16日
  • 時津三郎 少将:1944年9月16日 - 1945年4月20日
  • (兼)赤坂功 中将:1945年4月20日 - 1945年6月1日

試作航空機

脚注

  1. ^ 『呉市史 第5巻』pp.245 昭和63年3月31日 呉市史編纂委員会編

参考文献

関連項目


広(ひろ)海軍工廠

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この世界の片隅に」の記事における「広(ひろ)海軍工廠」の解説

円太郎現在の勤務先右上地図のうち、広地区の赤斜線エリア零式艦上戦闘機強度維持技術などが研究開発された。

※この「広(ひろ)海軍工廠」の解説は、「この世界の片隅に」の解説の一部です。
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