国外任務
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「第23山岳猟兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「国外任務」の解説
旅団所属の将兵と全部隊は連邦軍国外任務の多くに参加している。1990年代、旅団は最初の国外任務であるソマリア援助ドイツ部隊の第2次派遣隊に参加する。これに引き続いて旧ユーゴスラビアでの作戦に参加する。2002年11月から2003年5月までコソボでのコソボ治安維持部隊(KFOR)第6次派遣隊に参加する。2003年1月には第223山岳猟兵大隊が支援部隊と共にアフガニスタンに7ヶ月間派遣される。2005年5月から9月まで連邦軍第11次KFOR派遣隊に参加。2008年末にアフガニスタンの第18次ISAF派遣隊に参加、第232山岳猟兵大隊が緊急展開部隊(QRF)に指定されていた第212装甲擲弾兵大隊と交代し、2010年1月から旅団の一部部隊(第210山岳通信大隊)がコソボでの任務を開始する。これは通信中隊が第25KFOR派遣隊支援大隊に参加した。
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国外任務
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「ドイツ海軍 (ドイツ連邦軍)」の記事における「国外任務」の解説
冷戦末期の1987年にイラン・イラク戦争の余波により地中海へ艦艇を派遣し定期的に軍事行動を実施していた。初の海軍NATO域内派兵であったが加盟国間の共同防衛義務に基づく安全保障支援であった。東西再統一直後から国内では連邦軍の域外派遣について集中的な議論が始まった。これについては1990年8月2日のイラク軍のクウェート侵攻に端を発した湾岸危機とそれに引き続く湾岸戦争においてドイツ連邦軍の運用についての影響があった。これらの活動で統一間もないドイツ連邦海軍はかなりの分野で外国軍と関係していた。湾岸戦争にあってはドイツはアメリカ合衆国が連邦軍の派兵を求めたがドイツ連邦共和国基本法のほか、国際連合加盟後に形成されたNATO域外派兵に関する自主的規制に拘束され、戦争中には湾岸地域に軍隊を派遣せず総額172億独マルクの戦費を拠出し、トルコに空軍航空機を、地中海では出動した他の加盟国海軍の穴埋めで海軍が展開し(ズュートフランケ作戦)、戦後になってペルシャ湾に掃海艇を派遣したが、それでも日本と共に「小切手外交」と各国から激しく非難された。 1991年6月25日のクロアチア・スロベニア両国同時の独立宣言により6月27日にスロベニアにて十日間戦争が勃発し所謂ユーゴスラビア紛争が始まる、この影響により1992年からNATOはアドリア海での監視作戦を開始する。ここではドイツの艦艇と航空機が含まれた。アドリア海に初めて展開した艦艇は駆逐艦「D183 バイエルン」であった。各国それぞれ異なる活動をしていたが国際連合の禁輸措置によって派生した各種監視活動はシャープガード作戦の発動をもって集約される。この作戦に対するドイツの参加は連邦憲法裁判所での訴訟手続対象の一つとなっていた。連邦憲法裁判所の判断で1994年の間に限りドイツ海軍は完全な範囲でアドリア海での活動に参加することができた。作戦については一応の体裁としては旧ユーゴスラビア全域を対象とした武器流入禁止を目的に活動したが、他方ではユーゴスラビア連邦主体、すなわちセルビア人勢力に対して禁輸措置が押し通され、ボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争解決に寄与するとされた。1995年6月30日に、連邦政府はボスニアでの国際連合保護軍(UNPROFOR)部隊に全軍種を参加させることを決定し、いくつかの部隊はデリバリット・フォース作戦に参加する。海軍の担当については必要に応じて、ブレゲー アトランティック哨戒機2機と掃海艇および高速艇1隻をアドリア海に派遣した。これらのうち実際に活動したのは哨戒機2機だけであった。1996年にシャープガード作戦の運用は終了するが、海軍はNATOの一角として引き続いてアドリア海上にて存在を保持した。この後の1997年3月にはアルバニアの政情不安に伴い在留邦人および外国人救出のためにトンボ作戦が発動し、海軍はアドリア海に出動する。またコソボ紛争中にもアドリア海で哨戒任務に就き、紛争後の1999年にドイツ海軍はアドリア海に遺棄された弾薬の回収作業を実施する。 1993年12月に内閣は、第二次国際連合ソマリア活動(UNOSOM 2)のために翌1994年3月から7月までソマリアに連邦軍を出動させる決定をする。先遣隊は同年6月5日にソマリア入りし、しかし、先遣隊到着直後の平和維持軍によるアイディード将軍派ヘ攻撃や同年10月のアメリカ合衆国軍の失態とその後の各国軍の急速な撤退は、違憲訴訟まで発展した国内政治情勢も相まって国論の分裂を伴いつつ、1994年2月13日に第1陣101人がフリゲート「F211 ケルン」でモガディッシュを出発し、ケニアのモンバサ港へ向けて撤退することになる。第2陣以降にフリゲートと補給艦がモンバサ港およびジブチ港にて派遣部隊約1700人を撤収させた。 2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、対テロ戦争で連邦軍は戦列に投入される。海軍については2002年以降に不朽の自由作戦の一環としてアフリカの角にあるジブチに艦艇や航空機を展開させる(アフリカの角における不朽の自由作戦)。初期段階ではフリゲート3隻、高速艇5隻、支援艦艇の他ヘリコプターおよび海軍長距離偵察隊を含む総員約1700人に達した。これは1990年以来ドイツ海軍としては最大規模であった。その後派遣戦力は縮小され、派遣隊はジブチ港を拠点にフリゲートや補給艦および小規模な基地支援隊で構成される。さらに地中海東部では2001年末からアクティブ・エンデバー作戦に参加している。 2006年のレバノン侵攻に伴い国際連合レバノン暫定駐留軍海上任務部隊に艦艇その他を派遣した。2006年10月から2008年2月まではドイツ海軍の提督が海上任務部隊の司令官を務めた。当初のドイツ派遣部隊はフリゲート2隻、高速艇4隻および支援艦艇2隻から成った。指揮権交代後はフリゲート1隻と高速艇2隻(高速艇もしくは掃海艇)に削減される。 2002年末からの不朽の自由作戦に参加以来、ドイツ軍艦はソマリア沖・アデン湾に展開し続けてきたが、2008年にはソマリア沖の海賊による民間船舶の被害が急増し始めた。これに対応するため欧州連合の枠組みでアタランタ作戦に参加し第1陣「F212 カールスルーエ」が2008年12月19日から護衛任務を開始する。
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国外任務
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「ドイツ陸軍 (ドイツ連邦軍)」の記事における「国外任務」の解説
1990年の冷戦終結以降、連邦陸軍はドイツ国外で人道援助や、平和維持活動に従事する。これらの活動は世論や政治上の問題をはらんでおり議会内外で議論の対象となった。連邦陸軍が主に手がけた実際業務は医療・衛生援助で、最初の任務には人道支援活動が行われた点に特徴があった。 1994年まではこれらの任務は通常、国際連合の枠組み内で行われた。連邦陸軍が実施した国連の任務の中ではソマリアでの第二次国際連合ソマリア活動が最大規模であった。 1995年からは北大西洋条約機構または欧州連合主導による各種作戦、和平履行部隊(IFOR)、平和安定化部隊(SFOR)、コソボ治安維持部隊(KFOR)、欧州連合部隊(EUFOR)に参加する。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、連邦陸軍は対テロ戦争に参加する事になる。特に不朽の自由作戦はその主作戦であり、この一環としてアフガニスタンにおける国際治安支援部隊(ISAF)に連邦陸軍としては過去最大規模の部隊を派遣している。2006年には欧州連合部隊コンゴ民主共和国派遣任務に部隊を参加させる。国外での作戦に参加する部隊についてはその展開期間中に限り、陸軍の指揮を離れ連邦軍総監部(戦力基盤軍指揮幕僚監部を兼務)の主導で運用されていた。 また、国外任務だけでなく、2002年のエルベ川の大洪水での救援など引き続いて国内での任務に出動している。
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