SFORの活動に従事するスペイン軍
平和安定化部隊 (へいわあんていかぶたい Stabilisation Force, SFOR)とは、東ヨーロッパ・旧ユーゴスラヴィアのボスニア・ヘルツェゴビナ に展開していた平和維持部隊 。
1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 終結のためのデイトン合意 に基づき設置された和平履行部隊 (IFOR)の任務を引き継ぐものである。北大西洋条約機構 (NATO)を中心に1996年に創設された。多国籍部隊であり、のべ37ヶ国が参加している。部隊の目的はボスニア・ヘルツェゴビナにおいて、軍事力を行使し兵力引き離し・停戦監視および治安維持活動を実施することにある。
IFORの活動期限は1995年12月から1996年12月までの1年間であった。IFORは成果を挙げたが、引き続き軍の駐留必要性が認められ、安保理決議1088によりSFORが編成された。SFORは非NATO諸国も参加しているが、NATO指揮機構下にあり、指揮官は各国の持ち回りであった。
編成当初兵力は約3万人であり、IFORの6万人と比較し削減されており、2004年までに7千人となった。2004年12月からは欧州連合 指揮下の欧州連合部隊 アルテア(EUFOR Althea)に任務を譲り、SFORは解散した。
参加国
NATO加盟の参加国
NATO未加盟の参加国
ウィキメディア・コモンズには、
平和安定化部隊 に関連するカテゴリがあります。
背景(ユーゴスラビア の崩壊)
1991年 十日間戦争 (スロベニア の独立)
1991年-1995年クロアチア紛争 (クロアチア の独立)
参加勢力 戦闘と事件
プリトヴィツェ湖群事件
ボロヴォ・セロの虐殺
1991年5月ダルマチア反セルビア暴動
ダルマチアの戦い
ヴコヴァルの戦い
ヴコヴァルの虐殺
兵舎の戦い
ドゥブロヴニク包囲
ロヴァスの虐殺
シロカ・クラの虐殺
ゴスピチの虐殺
サボルスコの虐殺
バチンの虐殺
オストク10作戦
シュカンブルニャの虐殺
'91オルカン作戦
ヴォチンの虐殺
ミリェヴツィ平原事件
マスレニツァ作戦
メダク・ポケット作戦
稲妻作戦
ザグレブ・ロケット攻撃
'95夏作戦
嵐作戦
国際連合 等の活動関連事項
1992年-1995年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 (ボスニア・ヘルツェゴビナ の独立と分割)
参加勢力 戦闘と事件 国際連合等の活動 関連事項
カラジョルジェヴォ会談(グラーツ合意)- ワシントン合意 - デイトン合意 - ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での大量強姦 - ボスニア・ジェノサイド
1998年-1999年コソボ紛争 (コソボ自治州 の セルビアからの分離)
参加勢力 戦闘と事件
プレカズの攻撃
ロジャの戦い
ベラチェヴァツ炭鉱の戦い
ユニクの戦い
グロジャネの戦い
ゴルニェ・オブリニェの虐殺
パンダ・バーの虐殺
ラチャクの虐殺
ユーゴスラビア空爆
ポドゥイェヴォの虐殺
ヴェリカ・クルシャの虐殺
イズビツァの虐殺
アルバニア作戦
コシャレの戦い
ツスカの虐殺
スヴァ・レカの虐殺
国際連合等の活動 関連事項
2001年マケドニア紛争 (アルバニア系住民の権利拡大)
関連人物
政治家 軍最高指導者
ヴェリコ・カディイェヴィッチ - マルティン・シュペゲリ - ジヴォタ・パニッチ - モムチロ・ペリシッチ - ヤンコ・ボベトコ - ミレ・ムルクシッチ - ラトコ・ムラディッチ - ラシム・デリッチ - セフェル・ハリロヴィッチ - アティフ・ドゥダコヴィッチ - アギム・チェク - ドラゴリュブ・オイダニッチ - リュベ・ボシュコスキ
その他の軍事指導者 その他の重要人物
関連項目