ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 14:07 UTC 版)
「ブゴイノ」の記事における「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後」の解説
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結後、多くのセルビア系やクロアチア系の市民はブゴイノを去り、現在ではそのほとんどがボシュニャク人が占めるようになった。厳しい経済状況やこの地域での貧しい教育機会など多くが難民となりボスニア・ヘルツェゴビナを逃れている。クロアチア系の市民は1992年春からブゴイノから逃れ、クロアチアやオーストリア、ドイツなどで暮らしている。紛争の痕跡は今でも見ることが出来、市街を見下ろす小さな丘の上には病院の骨組みが残されている。1995年のデイトン合意後、平和安定化部隊のヘリコプターの基地としてブゴイノの工場用地が使われていた。後に基地はスルプスカ共和国のバニャ・ルカに移転している。
※この「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後」の解説は、「ブゴイノ」の解説の一部です。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後」を含む「ブゴイノ」の記事については、「ブゴイノ」の概要を参照ください。
- ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後のページへのリンク