ボスニア・ヘルツェゴビナ前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 14:31 UTC 版)
「日本とボスニア・ヘルツェゴビナの関係」の記事における「ボスニア・ヘルツェゴビナ前史」の解説
紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に入る。 6世紀にはスラヴ人が定住し、キリスト教カトリックと正教会の境界線となる。 12世紀後半、ボスニア王国が同地域を支配し、現国家の源流となった。 15世紀後半、オスマン帝国の支配下に入る。 19世紀から20世紀にかけて、オスマン帝国の弱体化に伴いオーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場になる。1908年にはオーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア・ヘルツェゴビナ併合、1914年にはサライェヴォ事件が起こり、第一次世界大戦勃発のきっかけとなる。 1918年に成立したユーゴスラビア王国に参加し、第二次世界大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一自治共和国「ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国」となる。 1984年にサライェヴォ・オリンピックが開催。 1992年から1995年まで、ユーゴスラビア紛争の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発。独立を果たす。
※この「ボスニア・ヘルツェゴビナ前史」の解説は、「日本とボスニア・ヘルツェゴビナの関係」の解説の一部です。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ前史」を含む「日本とボスニア・ヘルツェゴビナの関係」の記事については、「日本とボスニア・ヘルツェゴビナの関係」の概要を参照ください。
- ボスニア・ヘルツェゴビナ前史のページへのリンク