名誉勲章の勲記とは? わかりやすく解説

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名誉勲章の勲記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:16 UTC 版)

オーディ・マーフィ」の記事における「名誉勲章の勲記」の解説

マーフィの名誉勲章の勲記には、次のように記されている。: B中隊率いていたマーフィ少尉は、6輌の戦車と歩兵波状攻撃さらされた。マーフィ少尉部下森林まで後退するように命じながらも、自らは前線指揮所にとどまり砲兵隊との通信続けたのである。そして彼のすぐ近く友軍戦車駆逐車直撃弾を受けて爆発し乗組員の中へと逃げこんでゆくのを見たマーフィー少尉砲撃指揮続け大量の敵歩兵殺傷し足止めした。さらに敵の戦車現れる燃え上がる戦車駆逐車駆け上り、いつ爆発するともわからない危険な状況にも関わらず車載50口径機関銃用いて反撃したのである孤軍奮闘する彼は3方向からの砲火晒されていたが、彼はそのまま数十人以上のドイツ兵を殺傷しドイツ軍部隊動揺もたらした。やがて歩兵支援失った戦車後退始めたドイツ軍マーフィー少尉殺害する為にありとあらゆる持ちうる限り装備全て投入したが、マーフィ少尉倒れる事はなく、右側面から接近していた分隊一掃したドイツ軍はおよそ10ヤード程度まで接近していたものの、それ以上前進マーフィ少尉による銃火阻止された。この際に彼は足を負傷したが、それを気に留めるともなく銃弾使い切るまで戦い続けたその後中隊戻ったマーフィ少尉軍医による診察拒否してすぐさま中隊反撃命じ、これによってドイツ軍部隊撤退余儀なくされたのである。 彼が指揮した砲撃は敵の大半殺傷した少なくともおよそ50名の敵兵彼の砲撃死傷している。マーフィ少尉備え不屈の勇気1インチたりとも譲らぬという硬い意志が、中隊包囲及び壊滅から救ったのであり、またその為に敵の攻撃目標であった保持成功したのである。 この戦いでマーフィは6輌の戦車破壊し、またおよそ240名のドイツ兵を殺傷した上でより多く負傷ないし捕虜にしたとされている。彼は名誉勲章以外に殊勲十字章(Distinguished Service Cross)、2つ銀星章レジオン・オブ・メリット2つ星章3つの名誉戦傷章受章している。マーフィまた、北アフリカシチリアイタリアフランスドイツの5戦線戦った為、銀星戦闘章付欧州アフリカ・中東従軍勲章受章しており、4つ戦闘章にはシチリア及び南イタリアにおける2度の上陸を示す矢じり付されていた。さらにフランス戦線従軍していた折、マーフィ第3歩兵師団および第15歩兵連隊一員として、2度大統領殊勲受けている。 フランス政府マーフィに対してレジオンドヌール勲章シュヴァリエ級を授与している。また2つ戦功章(Croix de guerre)をフランスから、椰子1940年戦功章(Croix de guerre 1940 Palm)をベルギーから受章している。その他に戦闘歩兵記章(Combat Infantryman Badge)も受章している。彼は29ヶ月間を海外戦地過ごし、また2年間を第3歩兵師団戦闘員として過ごしたが、それでもなお21歳未満であった1945年6月初頭ドイツ降伏1か月後、彼は英雄として故郷テキサス凱旋しパレード宴会の後にスピーチ行った1945年8月17日マーフィサン・アントニオのサム・ハウストン駐屯地にて陸軍中尉として予備役編入され1945年9月21日アメリカ陸軍除隊した1945年7月16日マーフィは「最も勲章受けた兵士」(most decorated soldier)としてLIFE誌の表紙飾った朝鮮戦争終結後1950年7月マーフィテキサス州軍第36歩兵師団入隊する。ただし、この師団戦闘参加しないものと定められている。その後1966年少佐として州軍除隊した。 彼が実際に受けた勲章および記章はダラス・スコットランド・ライト・テンプル博物館および第15歩兵連隊チャイナ・ルーム展示室にて展示されている。

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名誉勲章の勲記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 17:52 UTC 版)

ロジャー・ウィルトン・ヤング」の記事における「名誉勲章の勲記」の解説

ヤング授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。 1943年7月31日ヤング一等兵所属する歩兵中隊は、夜のうちに大隊移動することに伴い一時的に前線からの撤退命じられた。この時、ヤング一等兵所属する小隊は非常に見通しの悪いジャングル奥地で敵と遭遇したのである小隊はわずか75m先の高地隠されていた日本軍機銃陣地からの激し銃撃によって釘付けにされてしまった。ヤング一等兵最初掃射負傷してしまった。小隊撤退決意した時、ヤング一等兵自分機関銃陣地始末すると言い、敵めがけて匍匐前進始めた次の機銃掃射でさらに負傷しながらも、彼は英雄的前進続け小銃応戦しつつ敵の注目を自らへと集中させたのである。十分敵陣地に接近した彼は手榴弾投げ込んだが、それと同時に次なる銃撃受けて戦死したヤング一等兵大胆な攻撃によってその日本軍陣地破壊したからこそ彼の小隊それ以上損害を受ける事無く前線逃れる事が出来たのである

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名誉勲章の勲記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/04 08:05 UTC 版)

オーラ・マイズ」の記事における「名誉勲章の勲記」の解説

マイズ授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。 K中隊所属マイズ曹長著しい勇敢、卓越した勇気課せられた義務凌駕する行動でその名を知らしめた。敵軍大攻勢始まった時、K中隊戦略的要衝であるハリー前哨地点防衛従事していた。友軍聴音哨兵士激し弾幕の中を移動して負傷した聞いた彼は、衛生兵伴い負傷者救出あたった持ち場戻った彼は効果的な防衛体制確立前哨区域内の塹壕浸透しつつあった断固たる決意元にある敵戦闘部隊への反撃行い大きな損害与えた。この大胆不敵な反攻最中、彼は砲撃手榴弾爆風3度倒れたが、その度臆することなく立ち上がり頑強に戦い続け、ついに敵の攻勢退けることに成功した。敵の大攻勢収まった後、彼は数人部下連れて掩蔽壕から掩蔽壕移動し開口部から銃撃行いつつ手榴弾投擲して敵軍排除努めた戦友背後敵兵現れ今まさに銃を撃たんとしているのを認めたマイズ曹長はそれを射殺して戦友救った小隊再集結した後、彼は全員顔を合わせ銃弾再分配し、励まし言葉叫び友軍機関銃陣地位置確認した。彼はすぐに機関銃陣地までの道を切り開くために突撃し敵兵10人を殺害して残余にも撤退強いた戦闘続けながら指揮所に戻ると、そこには負傷兵残されており、彼らを守るべく防衛体制立て直したその後無線機確保され、彼は敵の攻撃ルート対す砲撃指揮した。夜が明ける頃、彼は反撃のために部隊再編成支援し、やがて前哨地点から完全に敵を排除することに成功したマイズ曹長勇敢な行い卓越した勇気は彼自身永遠栄光もたらし、また我が軍高貴な伝統を守ることに繋がった

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名誉勲章の勲記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 04:36 UTC 版)

ゲイリー・ベイカーチ」の記事における「名誉勲章の勲記」の解説

ベイカーチに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。 課せられた義務凌駕する類稀な武勇と自らの命をも顧みない勇敢に捧ぐ。B-24分遣隊B中隊所属する衛生兵ベイカーチ軍曹は、キャンプ・ダクシーンの防衛においてその名を知らしめた。キャンプ周囲潜んでいた敵による大攻勢友軍守備隊大量死傷者強いた。ベイカーチ軍曹は自らに振りかかる危険を物ともせず倒れた戦友を救う為に激し砲火の中を走りぬけ、応急処置施し救護所への搬送行った。ある米軍将校重傷負い無防備な場所に倒れていると聞けば、ベイカーチ軍曹はやはり銃火をくぐり抜け将校のもとへと走った。この時、彼は榴散弾破片浴びて負傷してるが、それでも将校救護所まで搬送した。彼は自らの深刻な負傷などまるで気にかけず、比較安全な救護バンカー抜けだして、負傷者捜索搬送引き続き行った致命傷追ったベトナム人兵士人工呼吸施しつつ救護所目指していた時、彼は再び負傷した。ベイカーチ軍曹は再び治療拒否し、彼自身崩れ落ちるまで負傷者捜索続けた。彼は最後まで自らの治療許可しなかった。自らの生命危機が迫る中で示された、戦友幸福に対するベイカーチ軍曹の完全な献身は、彼と彼の部隊、そして合衆国陸軍信望確かなものにしたのである

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