ジェイク・アレックスとは? わかりやすく解説

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ジェイク・アレックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/23 03:39 UTC 版)

ジェイク・アレックス
Jake Allex
ジェイク・アレックス伍長(1921年頃)
渾名 「ビッグ・ジェイク」(Big Jake)
「イリノイのヨーク軍曹」('Sergeant York' of Illinois)[1]
生誕 1887年7月13日
オスマン帝国 コソボ州英語版プリズレン
死没 1959年8月28日(72歳)
アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
所属組織 アメリカ陸軍
最終階級 軍曹(Sergeant)
墓所 イリノイ州リバティビル英語版
Serbian Orthodox Monastery of Saint Sava cemetery
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ジェイク・アレックス・マンドシッチ(Jake Allex Mandusich, 1887年7月13日 - 1959年8月28日)は、アメリカ合衆国の軍人。オスマン帝国出身のセルビア系アメリカ人英語版で、セルビア語名はアレクサ・マンドシッチАлекса Мандушић)。アメリカ陸軍の一員として第一次世界大戦に従軍し、名誉勲章受章者の1人となった。最終階級は軍曹。

経歴

1887年、プリズレンに生を受ける。1905年には渡米し、1914年に第一次世界大戦が勃発するとシカゴにてアメリカ陸軍に志願入隊した[2]。なお、彼は本名ではなく「ジェイク・アレックス」というアメリカ風の名を使って入隊しており、名誉勲章もこの名前で授与されているが、これは本名での入隊申請が拒否された為である[3]。同様に本名での米国市民権の申請は30回以上却下されたという。

陸軍では第33歩兵師団英語版第131歩兵連隊英語版H中隊に所属していた。1918年8月9日、フランスのシピー・リッジ(Chippilly Ridge)付近の戦闘において、小隊所属の士官全員が負傷ないし戦死した際、当時伍長だったアレックスが小隊の指揮を執ることとなった。彼は機関銃陣地への攻撃を指揮し、これを突破することに成功した。彼自身も戦闘の中で5人の敵兵を殺害し、銃剣が折れた後も銃床を使って白兵戦を続け、最終的に15名の捕虜を得ている。以後、彼は戦友たちから「ビッグ・ジェイク」(Big Jake)と呼ばれるようになった[2]

終戦時の階級は軍曹であった。大戦を通じて、彼は16個の勲章等を受章した[3]。この中にはフランスやイギリスなど、諸外国からの外国勲章も含まれる。セルビア王国からは下士官兵として最高級の勲章を贈られ、授与の際にはセルビア王ペータル1世との夕食会に出席することを許されたという。1921年にペータル1世が死去した際には、その葬儀に出席した。復員後の一時期はアメリカを離れ、ユーゴスラビア王国となった故郷に戻り、近衛兵としてアレクサンダル1世に数年間仕えた[2]

1930年代から1940年代にかけてはアメリカ在郷軍人会英語版の活動に参加していた[3][4]。彼はユーゴスラビア系アメリカ軍人会や連合国軍復員兵委員会など、外国出身の復員兵による諸団体で幹部を務めていた。

1959年8月28日、シカゴの退役軍人病院にて死去した[5]。遺体はイリノイ州リバティビル英語版のセルビア正教会修道院内聖サヴァ墓地に埋葬された[6]

名誉勲章勲記

アレックスに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている[7]

戦闘中重要な局面において、小隊所属将校全員が負傷した際、アレックス伍長は小隊の指揮を執り、敵機関銃陣地からの銃撃で足止めされるまで前進した。その後、彼は銃火に身を晒しつつ単独で30ヤードほどを前進し、機関銃陣地への攻撃を行った。ここで彼は5人を銃剣で刺殺し、銃剣が折れた後には銃床を用いて戦い続け、最終的には15人の捕虜を得たのである。

脚注

  1. ^ 'Sergeant York' of Illinois to be Honored Today”. The Chicago Tribune. 2015年6月23日閲覧。
  2. ^ a b c Allex Mandusich”. Serbica Americana. 2015年6月23日閲覧。
  3. ^ a b c Man of Many Medals Tells How They Were Hung on Him”. The Milwaukee Journal (1941年9月16日). 2015年6月23日閲覧。
  4. ^ Legion Session Sidelights”. The Milwaukee Journal (1930年10月7日). 2015年6月23日閲覧。
  5. ^ Time magazine, Monday, September 07, 1959.
  6. ^ “ジェイク・アレックス”, Claim to Fame: Medal of Honor recipients (Find a Grave), http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=6532182 2007年10月24日閲覧。 
  7. ^ World War I Medal of Honor Recipients”. 2015年3月18日閲覧。



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