司教職とは? わかりやすく解説

司教職

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 06:39 UTC 版)

金魯賢」の記事における「司教職」の解説

金魯賢獄中18年、また労働収容所9年過ごし北方翻訳仕事従事し1982年になって釈放された。1985年張家樹から上海教区協働司教聖別され愛国会の承認受けたが、教皇任命認可を受けなかった。彼と同時に聖別されたのは思徳である。この頃には、龔品梅司教終身刑から自宅での10年軟禁減刑されていたが、彼はその監視役務めていた。 1988年張家樹が世を去り金魯賢張家樹地位引き継いだ1989年には信徒ミサ中での教皇のための祈り戻したこの後本人申請により、ローマとの一致獲得し、これにより教皇庁北京政府が共に承認する司教となった。但し、地下教会金魯賢にかなり反感持ち、彼が単に協働司教であることを強調しているという。 上海教区司教中国政府承認得ておらず、年中監視下にある地下教会司教范忠良であり、彼は青海省墓場30年死体運び従事し2000年龔品梅引き継いで上海教区司教及び南京教区司教、そして中国カトリック地下司教団団長に就いた。 金協働司教指導の下、上海教区中国大陸で最も活発な政府公認教会教区一つとなり、公認カトリック教徒人数14万人達した。金司教上海率先して修道院修復し同時に全国で最も先進的な修道院であった。 その一方で、彼はカトリック教会反対の立場取っている産児制限支持し2001年にはミネアポリス・スター・トリビューンとのインタビューで、“家族計画無ければ中国では人口爆発が起こる。私は堕胎には反対しており、それは子殺しである。(だが)予防策には賛成している”と語った金魯賢多く言語話し多くカトリック教会海外聖職者国外中国への人権宗教の自由関心を寄せる人物会見してきた。陳日君枢機卿、穀寒松神父、アメリカ大統領ビル・クリントンドイツ首相アンゲラ・メルケル等である。 2005年6月28日89歲の金協働司教徐家匯聖イグナチオカテドラル42歲の上教区補佐司教邢文之を聖別した外部人間は、邢補佐司教後継者にしたと評したカトリック香港教区司教陳日君は、邢文之は前の教皇ヨハネ・パウロ2世臨終前に任命したので、彼も教皇庁北京政府が共に承認した司教であると語った。邢補佐司教聖別式の当日、本来は教皇任命状を会衆向けて読み上げるであったが、当局脅し受けて、この事は最終的に取り止めとなり、人に非常に遺憾の意を起こさせた。邢補佐司教もこれに対して非常に不満を持ち、「私の気質合わせれば、きっと読んでいただろう。私個人かまわないが、私達教会明日なければならない…」と語った。邢補佐司教任命は、中国大陸で最も活発な教区一つである上海教区分裂状態終わらせるだろうという評価もある。 2005年9月バチカン金魯賢李篤安西安教区大司教)、鏡峰(鳳翔教区司教)、魏景儀(チチハル教区司教)の4人の中国人司教ローマで開幕するシノドス世界代表司教会議参加するよう招待したことを発表した。だが、4人共、行くことは出来なかった。 2007年上海辞書出版社は『金魯賢文集』の本を出版し、これは1980年代から1990年代書簡と、彼がローマ教皇庁グレゴリアン大学神学専攻をしていた時の博士論文や、当時教会直面していた問題対す見方提案掲載されている。 2009年、彼は自伝『絶處逢生・上』を出版し彼の若い頃の生活の経歴や、1950年代帰国してからの様々な遭遇記載しており、かなりの史料価値持っている金魯賢司教は、その本自分行為かなりの多く主観的な弁護をしており、その真実性多く検証を待たなければならない。この本が出版され時には曲折があり、宗教主管当局厳格な審査遭い最終的に出版許可得られなかった。宗教主管当局局はその身份と地位への重視示し友人に送るために少数印刷した。 金協働司教上海教区奉職する間に、多く文化大革命期間に没収され教会資産回収し教会財產保護する面で少なからず貢献をした。近年中国での不動産市場次第上昇するに伴い多く不動産擁する上海教区はこれにより、中国で最も財政豊かな教区となり、自給自足出来るばかりではなく、他の教区援助することも出来ようになったまた、教区専門的な社会奉仕センターある光社会服務中心設立し貧苦中にある教区個人援助している。 その反面、金協働司教聖職者霊的養成管理の面は、かなり失望的である。2009年司祭年に記した書簡で、公認教会の上教区はこの20年に“司祭叙階後悔して還俗したのが11人にも登り教区司祭8分の1占める”のを認め、これは“心が痛む数字だ”であるとした。おそらくこれが原因なのか、2009年下半期に彼は再び邢補佐司教上海山神学校校長にして、前任校長である方祖耀神父交代させ、邢補佐司教厳格さ信者尊敬する聖徳を以て神学校立て直すことを期待した1916年生まれた協働司教は、90になって未だに引退していない。これは、司教75歲引退すべきであるという教会法規定違反している。批判者は、彼が権力恋々としており、香港教区枢機卿である陳日君が、75歲の後に進んで辞職願ったことと鮮明な対比成しているという。 それに対し支持者彼の国際間かつ中国国内での威光人望極めて高く極めて広大な人脈持っているとする。複雑で変化の多い中国カトリック教会では、政府との関係及びバチカンとの関係適切に処理する人物が必要であり、高度な外交手段を持つ金協働司教在位するのは、教会の発展進めるのに有利であるとしている。 2010年は、金魯賢愛国会による司教聖別から25年の銀祝に当たるが、同じく司教25周年迎えた范忠良司教健康状態もあり、銀祝に対して上海教区低調であるとされている。

※この「司教職」の解説は、「金魯賢」の解説の一部です。
「司教職」を含む「金魯賢」の記事については、「金魯賢」の概要を参照ください。

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