オーガスタス・レッグとは? わかりやすく解説

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オーガスタス・レッグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 15:07 UTC 版)

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"Lichfield"
バニティ・フェア』誌、1897年5月27日号に掲載された、レッグを描いた戯画。

オナラブルオーガスタス・レッグ師(The Right Reverend The Honourable Augustus Legge, DD[1]1839年11月28日[2]1913年3月15日[3])は、1891年から1913年までリッチフィールド主教を務めた聖職者[4]

概要

レッグは、第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグの三男で、父の後妻であった母オナラブル・フランシス (the Honourable Frances) は第5代バリントン子爵ジョージ・バリントン師 (Reverend George Barrington, 5th Viscount Barrington) の娘であった。第5代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグは異母兄、ヘニッジ・レッグ大佐は弟であった[5]。教育は、イートン・カレッジオックスフォード大学クライスト・チャーチ学寮に学んだ。 1864年に聖職授任 (ordination) し、当時シドナム (Sydenham) のセント・バーソロミュー教会の教区牧師であった、後のロチェスター主教 (Bishop of Rochester) 、アンソニー・ソロルド (Anthony Thorold) の下でチャプレンとなり[6]、次いでルイシャムの地方監督 (Rural Dean) となり[7]1891年に司教職 (episcopate) に昇格した。1873年から1876年まで、レッグはグリニッジ地区を代表してロンドン学校委員会 (London School Board) の委員を務めた[8]

レッグは、ウィリアム・ブルース・ストップフォード・サックヴィル (William Bruce Stopford Sackville) の娘ファニー・ルイーザ (Fanny Louisa) と、1877年に結婚した。夫妻の間には7人の子どもが生まれた。妻ファニーは1911年12月に死去し、レッグはその2年後の1913年3月に73歳で没した[5]

出典・脚注

  1. ^ 「DD」は神学博士であることを示す。
  2. ^ “Who was Who” 1897-1990 London, A & C Black, 1991 ISBN 0-7136-3457-X
  3. ^ The Times, Friday, 21 March 1913; p. 7; Issue 40165; col B Deaths
  4. ^ Two New Bishops Nominated Birmingham And Lichfield The Times Friday, Jun 19, 1953; pg. 8; Issue 52652; col D
  5. ^ a b thepeerage.com Rt. Rev. Hon. Augustus Legge
  6. ^ Sydenham Society
  7. ^ "The Clergy List, Clerical Guide and Ecclesiastical Directory" London, Hamilton & Co 1889
  8. ^ “The London School Board Elections”. Daily News. (1873年11月29日) 
イングランド国教会の称号
先代:
William Dalrymple Maclagan
リッチフィールド主教
1891–1913
次代:
John Augustine Kempthorne



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