バチカンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 08:52 UTC 版)
「ジェファーソン・デイヴィス」の記事における「バチカンとの関係」の解説
近年、バチカン市国のアーカイブより、1863年にリンカーン大統領がローマ教皇ピウス9世に送った手紙が発見されている。手紙は公式なもので、彼のサインが手紙とは別色のインクでなされているところから、彼の秘書に口述して書かれた物と判断される。書かれた時期は南北戦争の真っ最中で、南軍が北部に浸入し、25万人もの死者が出ているにも関わらず、全くの外交的内容で、残酷な戦争に関しては一切触れていない。同時期に、南部(連合国)のデイヴィスもピウス9世に手紙を書いている。デイヴィスの手紙はリンカーンの手紙とは全く逆なもので、自分で書いた個人的なもので、戦争の悲惨さを訴え、罪もない市民が殺されていく現状を鮮明に書きあらわしたものである。彼の手紙の意図は、ローマ法王に南部を国家として認めて貰おうとした事と考えられる。驚いたことに、数か月後にローマ教皇はデイヴィスを『Presidi Foederatarum Americae Regionum』即ち、『アメリカ連合国大統領』と呼び、返事を送っているので、ローマ教皇が南部を国家として認めたものと受け取って良い。これは、ワシントン(合衆国政府)とバチカンとの間に外交上の問題が生じることを示している。 ただし、バチカンの膨大なアーカイブの中から今までに発見された手紙はこの2通のみなので、それ以上の詳細は不明であるが、この2通の手紙は、リンカーンとデイヴィスの人柄を語っている。なお、バチカンのアーカイブはナポレオンによって全て略奪され、パリに移動された事があり、ナポレオン失脚後にバチカンに戻されるが、資料が多すぎて移動が大変だった為に、その一部がパリの店屋にて野菜や魚の包装紙用にと売られたりもした。戻った資料は膨大すぎて未だに整理されていないので、どこに何が隠されているのか、未だに分からない状態である。ちなみに、教皇の手紙はその死後75年間は施錠された場所に隔離されており、閲覧できなくなっている。
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