司教領の成立とチロル伯の台頭とは? わかりやすく解説

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司教領の成立とチロル伯の台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:53 UTC 版)

チロル」の記事における「司教領の成立とチロル伯の台頭」の解説

1027年神聖ローマ皇帝コンラート2世は、ブリクセン司教トリエント司教神聖ローマ帝国帝国諸侯とした。これにより、両司教領バイエルンから切り離された。神聖ローマ皇帝は、伝統的にローマでローマ教皇から戴冠されるものと考えられており、アルプス安全な通行求められのである実際、両司教さまざまな圧力にもかかわらず帝国に対して忠実であったその後世紀をかけて両司教世俗権力低下すると、代わって新たな勢力がこの地方台頭することになったメランメラーノ)に近いティロールティローロ)のティロール城を拠点としたティロール伯(以下、「チロル伯」と記す)は、トリエントブリクセンの両司教臣従し、12世紀以後代官任じられて両司教領運営あたった。力を蓄えたチロル伯はやがて両司教領主権侵奪した。13世紀半ばチロル伯位はアルベルト3世から娘婿ゲルツマインハルト1世 (it:Mainardo I di Tirolo-Gorizia) へと継承されマインハルト1世ティロールゲルツとなった(この家系ゲルツ伯家マインハルト家と呼ばれる)。マインハルト1世の子マインハルト2世は、さらにケルンテン公にも就いた広域地名としてのチロル」という名称は、13世紀頃に成立したそれまでこの地方Land im Gebirge あるい Land der Gebirge(「山岳の地」)と総称されていたが、1248年文献で dominium comitis Tyrolis、すなわち「ティロール伯の領域」の名で呼ばれている。ダンテ『神曲』14世紀初頭成立)にも、ティロル地方は "Tiralli" として言及されており("Suso in Italia bella giace un laco, a piè de l'Alpe che serra Lamagna sovra Tiralli, c'ha nome Benaco"(地獄篇 XX, 61-63))、ドイツとイタリアの間にある広大な領域してみなされている。

※この「司教領の成立とチロル伯の台頭」の解説は、「チロル」の解説の一部です。
「司教領の成立とチロル伯の台頭」を含む「チロル」の記事については、「チロル」の概要を参照ください。

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