原因究明への動きとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 原因究明への動きの意味・解説 

原因究明への動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:01 UTC 版)

水俣病」の記事における「原因究明への動き」の解説

日本水俣病とされる病気集団発生した例は過去に2回ある。そのうち一つは、新日本窒素肥料現在のチッソ水俣工場が、アセトアルデヒド生産触媒として使用した無機水銀硫酸水銀)から発生したとするメチル水銀である[要出典]。アセトアルデヒドは、アセチレン希硫酸溶液吹き込み触媒下で反応させることにより生産される工場触媒反応過程副生されたアルキル水銀化合物主として塩化メチル水銀)を排水とし、特に1950年代から60年代にかけて水俣湾八代海)にほぼ未処理のまま多量に廃棄した。そのため、メチル水銀生体濃縮起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民などへの被害発生した1960年には新潟県阿賀野川流域でも同様の患者発生確認され新潟水俣病呼ばれる。これは、阿賀野川上流昭和電工鹿瀬工場廃棄したメチル水銀よる。 メチル水銀中毒世界で初め報告されたのは1940年イギリスである。このときはアルキル水銀農薬工場における、従業員中毒例であったハンターラッセルによって、運動失調構音障害求心性視野狭窄メチル水銀中毒3つの主要な臨床症状とされたため、これをハンター・ラッセル症候群と呼ぶ。 1959年7月有機水銀説が熊本大学厚生省食品衛生調査会から出されると、チッソは「工場使用しているのは無機水銀であり、有機水銀工場無関係」と主張し、さらに化学工業界を巻き込んで有機水銀説に異を唱えた。これは当時無機水銀から有機水銀発生機序メカニズム)が理論的に説明されていなかったことによる。病気の発見から約11年経過した1967年になり、ようやくチッソ工場反応器環境再現することで、無機水銀メチル水銀変換されることが実験的に(いまだ「理論的」にではないことに注意証明された。しかし、排水水俣病との因果関係証明されない限り工場責任はないとする考え方は、被害拡散を防ぐための有効な手段をほとんど打てずに経年していくという重大な問題抱えることになり、結果として大量被害者を生みだし、地域社会もとより補償増大などで企業にとっても重篤損害生むもとになった原因特定が困難となった要因一つとしてチッソ水俣工場と同じ製法アセトアルデヒド製造していた工場当時国内に7か所、海外20所以上あり、水銀未処理排出していた場所もほかに存在したにもかかわらずこれほど被害引き起こしたのは水俣のみであり、か終戦後になってからという事実がある。この事実化学工業界の有機水銀起源説反証として利用され研究進まず発生メカニズム特定とことんまで遅らせることとなったチッソ水俣工場では、第二次世界大戦前からアセトアルデヒド生産行っていたにもかかわらず、なぜ1950年過ぎから有機水銀中毒発生したのかは、長期わたってその原因不明とされてきた。現在でも決定的な理論はまだ出現していない。しかし、生産量増大ならびにチッソ1951年行った生産方法一部助触媒変更による水銀触媒アルキル生成物の上昇が患者大量発生なんらかの形で関係した考えられている。 この生産方法変更は、白石宗社長時代行われた1951年58年在任)。白石日本統治時代の朝鮮にあった朝鮮チッソ幹部経て戦前以来長く役員務める。在任中に初の水俣病公式認定患者が出る。 生産工程変更は、アセトアルデヒド合成反応内の硫酸水銀触媒活性維持のために助触媒として使用していた二酸化マンガン硫化第二鉄変更近年の研究二酸化マンガン有機水銀中間体生成抑えることが明らかになりつつある)したために、塩化メチル水銀などのアルキル水銀多く発生させることとなり、それが排水として流されたことが考えられている。また、チッソ水俣工場アセトアルデヒド生産開始したのは1932年からで、年間生産量1954年までは209〜9,159トンであったが、1950年代中ごろから増産続き1956年には前年度の約1.5倍の15,919トンとなり、1960年には45,244トンで最高となったまた、当時生産設備老朽化進んでいたが、経費削減更新怠ったため、廃液流出年々加速度的に増えつつあったことが当時薬剤購入量から示されている。このように、この時期生産量急激な増大や、老朽設備転による廃液量の増加代表される利益至上主義による化学プラントプロセス管理無視助触媒変更などが組み合わさった結果最終的に大量メチル水銀生成つながった考えられている。最近の研究によると、工場から海域廃棄されメチル水銀の量は0.6〜6トン達した推定されている。やはり化学工業界が反証として利用していた事実、すなわち、自然の海域には無機水銀メチル水銀変換する天然細菌存在するが、それらが生成するメチル水銀はごく微量であると熊本県主張している。 このように、「水俣病発生当時工場メチル水銀流していなかった」「自然の海域無機水銀から生成した有機水銀水俣病原因となった」などの主張明確な根拠はない。そもそもの遠因として挙げられるのは、当時世界中で採用されていたアセチレン法アセトアルデヒド工法である。これはあくまで「経験的」に効率よい水銀安定回収ができる工法であり、理論的な生成機序研究はされておらず、従って有機水銀中間体できること誰も気づかなかったのである

※この「原因究明への動き」の解説は、「水俣病」の解説の一部です。
「原因究明への動き」を含む「水俣病」の記事については、「水俣病」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「原因究明への動き」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「原因究明への動き」の関連用語

1
2% |||||

原因究明への動きのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



原因究明への動きのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの水俣病 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS