共産主義革命、社会主義革命
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共産主義革命、社会主義革命(インフラストラクチャーなどの国有化まで進めた革命) パリ・コミューン(1871年) ロシア革命の十月革命(ボリシェヴィキのクーデター)(ユリウス暦1917年10月) - 二月革命の直後に二段階革命として実行された。 ドイツ革命(1918年 - 1919年) ハンガリー評議会共和国(1919年) モンゴルの共産化(1920年) - ロシア革命に乗じて中国が外モンゴル支配の回復を目指したのに対し、モンゴル人民革命党がソ連に援助を要請。ソ連の軍事力で人民政府を樹立。ソ連の最初の衛星国となった。 アルバニア革命(1944年) - ユーゴスラビアと同じく独力のゲリラ戦で全土を掌握。但しユーゴの援助と地理的有利さがあればこそだった。ユーゴと同じく容易にソ連と決別(1961年)したが、ユーゴとは犬猿の仲だったので、ユーゴと逆の極左政策を採用。社会主義の崩壊ではユーゴと同じくソ連・東欧とほぼ同時に崩壊。 ユーゴスラビア革命(1941年 - 1945年) - ソ連の軍事力によらず独力のゲリラ戦争で全土を掌握。そのためソ連との決別(1948年)が容易だった。自主管理社会主義という半資本主義経済を採用。しかし社会主義の崩壊ではソ連・東欧とほぼ同時に崩壊した。 ベトナム八月革命(1945年、北ベトナム) - ベトミンが蜂起して阮朝を倒した。植民地支配に復帰したフランスとのインドシナ戦争に勝利して北ベトナムの社会主義化は確定。その後アメリカとベトナム戦争で南ベトナムの支配権を争う。 チェコスロバキア・クーデター(1948年) - チェコスロバキア共産党によるクーデター。共産党側の呼称は「勝利の二月」。西側諸国に大きな衝撃を与え、冷戦の開始を決定的にした。 北朝鮮の共産主義国家成立(1945年 - 1948年、北朝鮮) - ソ連が衛星国として自国と同じ体制を作ったが、金日成が建国前にゲリラをしていた事もあり革命と称している。 国共内戦 (1945年 - 1949年、中国) ガイアナの人民進歩党(英語版)(PPP)政権(1953年、1961年 - 1964年) - イギリス植民地のガイアナの自治政府選挙で共産主義政党が勝利。1回目はイギリスの軍事介入、2回目は暴動などを経て退陣。1966年の独立後はPPP穏健派の分派人民国民会議(英語版)(PNC)政権が非マルクス主義の社会主義政策。 キューバ革命(1959年) ビルマ式社会主義(1962年 - 1988年、ミャンマー) - 1962年のクーデターで成立したが実態は軍部独裁。仏教社会主義と称し、仏教とマルクス主義を混合したイデオロギーを唱えた。農業以外の産業の国有化は行われた。 9月30日事件(1965年、インドネシア) - 共産党がクーデターを起こしたが陸軍が反撃して鎮圧された。華僑系を中心に数十万人~数百万人が虐殺された。東南アジアの共産主義運動に大きな打撃。 文化大革命(1966年 - 1979年、中国) - 共産党内の権力闘争である。資本主義化(マルクス主義用語で修正主義)の志向がある党主流派(劉少奇、鄧小平ら)に対して、社会主義の維持と権力復帰を求める毛沢東が第二革命を仕掛けた。 チリ革命(1970年 - 1973年) - 平和革命であり、史上初の民主的な選挙によって成立した社会主義政権だったが、チリ・クーデターによって終焉した。 エチオピア革命(1973年 - 1977年) - (古典的)市民革命として始まったが、急進派の武力行使でメンギスツ政権が成立した。 ポル・ポト政権の成立(1975年、カンボジア) - 北ベトナムの南ベトナム侵攻を背景に、カンボジア共産党(クメール・ルージュ)が権力掌握。原始共産制社会を理想とする極端な共産主義政策を実行。犠牲者は百数十万人とされる。1979年にベトナムが侵攻して政権崩壊。ベトナムの傀儡のヘン・サムリン政権となる。 ベトナム統一(1975年 - 1976年、ベトナム) - 北ベトナムがベトナム戦争に勝利して1973年にアメリカ軍が南ベトナムから撤退。1975年に北ベトナム正規軍が侵攻して南ベトナムを占領。解放戦線を含めて南ベトナムの自主性は一切認めず翌年併合。 静かな革命(1975年、ラオス) - 北ベトナムの南ベトナム占領を背景に、共産主義政党パテート・ラーオがなし崩しのクーデターで一党独裁を確立。 グレナダの人民革命政府(1979年 - 1983年) - 1979年3月13日、ニュー・ジュエル運動によるクーデターで独裁政権が崩壊、人民革命政府を樹立。人気はあったが政治は独裁だった。政権内強硬派のクーデターを機にアメリカが軍事介入して崩壊。 四月革命(1978年、アフガニスタン) - 人民民主党によるクーデター。ムジャーヒディーン(イスラム義勇兵)の蜂起が起き情勢が不安定化。イスラム原理主義の波及を恐れるソ連が軍事介入。社会主義崩壊期にソ連は撤退、ターリバーン政権の出現を招く。 ニカラグア革命(1979年) - 社会主義革命というよりはブルジョワジーも巻き込んだソモサ王朝への反独裁闘争の側面が強く、マルクス主義ではなく、サンディーノ主義に基づいた革命だった。 スリナムのクーデター(1980年) - 軍事政権が社会主義化を推進。
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