京王電気軌道・玉南電気鉄道とは? わかりやすく解説

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京王電気軌道・玉南電気鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:31 UTC 版)

京王電鉄」の記事における「京王電気軌道・玉南電気鉄道」の解説

現在の京王電鉄歴史は、1905年明治38年12月12日に、日本電気鉄道株式会社関係官庁電気鉄道敷設出願したことにまで遡る。この時出願した路線は、官設鉄道蒲田駅から調布町府中町経て甲武鉄道立川駅に至る路線と、府中分岐して内籐新宿に至る路線二つであった日本電気鉄道1906年明治39年8月18日武蔵電気軌道株式会社改称し新たに立川村内と府中 - 国分寺間の路線出願するとともに既に出願していた鉄道路線計画変更し蒲田 - 立川間の調布以北府中 - 新宿間を合体させ残る蒲田 - 調布間を国領分岐して蒲田に至る路線として分離した。この時の経路現在の京王線の基となっている。 その後別に武蔵電気鉄道株式会社という会社現れたため、1910年明治43年4月12日に、武蔵電気軌道京王電気軌道株式会社改称し9月21日資本金125万円設立され鬼怒川水力電気取締役川田取締役会長に、初代専務取締役社長)に鬼怒川水力電気社長利光鶴松小田急電鉄帝都電鉄創業者)の親族である利光丈平就任した。しかし、まだ鉄道路線有していないため、当初営業1911年明治44年7月4日関係官庁より許可出た電気供給事業のみ執り行っており、1912年明治45年8月から調布町多磨村府中町西府村電気供給行っていた。 そして、1913年大正2年4月8日に、玉川電鉄東京電燈から買った電力笹塚変電所 (100kW) で受けて4月15日笹塚駅 - 調布駅間の12.2キロ電車営業と、電車補助機関として新宿駅 - 笹塚駅間及び調布駅 - 国分寺駅間の乗合自動車営業路線バス事業)を開始した。しかし、京王線建設資金窮し森村財閥融資系列入り富士瓦斯紡績井上篤太郎第3専務)、藤井諸照(会長)が経営陣参画することになる。その後1914年大正3年11月19日京王線新町駅現存せず) - 笹塚駅間の延伸皮切りに1915年大正4年5月30日には新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビル位置) - 新町駅間が、1916年大正5年6月1日には調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅 - 府中駅間が延伸開業したまた、1923年大正12年5月1日には新宿駅 - 府中駅間の全線複線化行っている。このほか、1919年大正8年4月には多摩川原駅前での造園事業行ったまた、電車運転の余力売電行い1914年大正3年10月から国分寺村に、1915年大正4年8月から谷保村立川村に、同年10月から小平村田無村に、同年11月から保谷村に、1916年大正5年1月から拝島村に、同年2月から中神村他七カ連合に、同年7月から神代村和田堀内村千歳村高井戸村松沢村に、1917年大正6年3月から三鷹村に、同年8月から砧村に、1919年大正8年4月から稲城村供給した1922年大正11年12月東京電燈立川変電所から500 kW受電開始し1923年大正12年3月から狛江村への電気供給開始した一方府中駅 - 東八王子駅(現・京王八王子駅)間は、1922年大正11年)に設立され京王関連会社である玉南電気鉄道株式会社によって1925年大正14年3月24日営業開始した。これは国からの補助金を得るため、府中駅 - 東八王子駅間を軌道法に基づく京王電気軌道ではなく新たに設立した地方鉄道法に基づく新会社(玉南電気鉄道株式会社)により敷設行ったのであるしかしながら免許路線官営中央本線並行していることを理由に、京王・玉南が当てにしていた補助金認められなかった。 その後1926年大正15年12月1日京王電気軌道が玉南電気鉄道合併し資本金1290万円会社となる。1927年昭和2年6月1日に玉南鉄道線(府中駅 - 東八王子駅間)を1,067 mm から1,372 mm改軌する工事終了し全線軌道法による直通運転開始した。しかし、新宿駅から東八王子駅まで乗り換えなしでは行けない状況1928年昭和3年5月22日ダイヤ改定まで続いた1931年昭和6年3月20日には、初の支線である御陵線北野駅 - 御陵前駅間)が開通し1932年昭和7年4月高尾登山鉄道との連帯運輸開始皮切りに帝都電鉄省線電車などとも連帯運輸を行うこととなる。また、御陵線ライバル路線であった武蔵中央電気鉄道軌道線1938年昭和13年6月1日買収し、一旦「京王電気軌道八王子線」(後に高尾線)としていたが、翌1939年昭和14年6月30日をもって休止同年廃線にしている。 後の1937年昭和12年2月資本系列が森村財閥から大日本電力移り同社専務穴水熊雄社長に就任沿線乗客誘致政策積極化することとなる。具体的に駅名の改称であり、例を挙げるならば、京王車庫前駅桜上水駅上高井戸駅 → 芦花公園駅多磨駅多磨霊園駅関戸駅聖蹟桜ヶ丘駅百草駅百草園駅高幡駅高幡不動駅多摩川原駅京王多摩川駅など観光地であることを強調する駅名にしている。これらの駅名は、観光地としての地位についてはともかく、現在まで引き継がれ親しまれており、一定の先見の明があった施策といえるまた、乗合自動車事業1938年昭和13年3月武蔵中央電気鉄道バス事業八王子市街地で運行買収皮切りに高幡乗合自動車株式会社高幡不動駅 - 立川駅間で運行)と由木乗合自動車株式会社八王子駅 - 由木現在の京王堀之内駅南大沢駅周辺地域名称) - 相模原駅間で運行)の買収行っている。 他にも、新事業として1938年昭和13年11月不動産事業開始した。 しかし、第二次世界大戦勃発で、1942年昭和17年前半には、陸上交通事業調整法に基づき東京市内のバス路線東京都譲渡したほか、配電統制令により電力供給事業関東配電株式会社東京電力前身)に譲渡することとなり、経営大打撃を被る。そして、1944年昭和19年5月31日には陸上交通事業調整法に基づき東京西南地区私鉄1つ統合されることとなり、大株主であった大日本電力は、長年京王電気軌道競合関係にあった東京急行電鉄株式譲渡することとなり、いわゆる大東急一員となる。京王東急吸収合併され、京王電気軌道法人として解散消滅した。この合併で、会長井上篤太郎東急相談役に、井上片腕であった取締役後藤正策(後に京王帝都電鉄取締役)と、社長穴水熊雄次男穴水清彦(後に相模鉄道社長会長)は、東急取締役就任した

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