主なオリジナルクイズ
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「スーパークイズスペシャル」の記事における「主なオリジナルクイズ」の解説
元々クイズ番組ではない番組も多いため、『スーパークイズスペシャル』のためにクイズを作って出題する場合もあった。ほとんどは番組制作のVTRを見て、そこからクイズを出題する。また、『マジカル頭脳パワー!!』のメインコーナーだった「恐怖の居残り早押しクイズ」やスペシャル限定の「仲間でバトル」(「くっつきバトルロイヤル」の姉妹版。「世界の国と首都」、「日本テレビで(1997年当時)放送されている番組」(ただし、すでに放送が終了した番組は除く)がお題として出た)は『スーパークイズスペシャル』で初登場したクイズである。 勝手にデュエットクイズ 1992年秋のみに『夜も一生けんめい。』からの出題クイズとして実施された。司会は逸見とたけし。DORA、デューク・エイセスがそれぞれ別の歌を歌っていて、全員が歌っている曲名全てを早押しで答える。 100人に聞いたら1人しか答えませんでした 1993年春に『EXテレビ』からの出題クイズとして初登場した。司会は最初は紳助と板東だが、途中から紳助、1998年秋では久本とKinKi Kids。東京都内の街頭で100人に有名人に関するアンケートを実施(例:名前に「もん」が入っている有名人は?など)。その中で1人しか答えなかった少数回答を当てる。『EXテレビ』が終了した1994年春以降も人気コーナーだったため、1999年春まで実施された。『EXテレビ』参照。このクイズ自体は『芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』でも実施された。 11PM世界ダービーNo.1クイズ 1994年春に『11PM』からのクイズとして登場。司会は巨泉と永井。世界のNo.1にまつわるクイズを出題し、「イレブンダービー」のルールで展開された。なお、巨泉の司会はすべての放送回を通じてこのコーナーのみであった。また、この回でたけしは当クイズへの不満を大橋に対し言い放っていた。 日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ 1995年春から1996年秋まで実施された。司会は1995年春では所と鶴瓶、1995年秋以降はたけしと所。『アメリカ横断ウルトラクイズ』の「バラマキクイズ」が基本ルールである。当時の日本テレビ本社(後の麹町分室、現在は解体撤去)内に問題内容が収納されている用紙があり、それを探し出し、スタジオに戻ってくる。1995年春はスカを引いた場合、1995年秋からはクイズに間違えると、着包みや被り物を着用して走行しなければいけないというルールだった。1995年には18チーム全員参加で9チーム毎2回戦実施された。1996年春には4チームに付き2人の割合で参加し、勝ち抜けると4チームに得点が加算されるというルールで、1996年秋には2チームに付き1人の割合で参加し、勝ちぬけると2チームに得点が加算されるというルールに変更された。1995年春は先着4チームに30萬加算され、1995年秋は1位抜けで30萬、以下20萬・10萬・5萬加算された。1996年春は1位抜け50萬、2位抜け:40萬(横取り無し)、以下30萬、20萬、10萬と加算され、1996年秋は1位抜けで40萬(横取りなし)、以下30萬・20萬・10萬・5萬が加算された。 なお、1997年春には背負った風船が爆発するまでに面白いギャグを披露する「お笑い風船爆発バトル」、1997年秋には選んだ物を使ってダジャレを披露する「ダジャレバトル」として行われた。この時は「スカ」を引いた場合および不正解の場合の着包み・被り物着用は無くなった。なお、1997年秋ではたけしが欠席しており、代わりに彼の兄である北野大が所と一緒に担当している。 一流芸能人トップは誰だ!? 1994年秋から1995年秋まで実施された。司会は紳助。出演者の中から選ばれた3人が「ウ冠の付く漢字」等のテーマが出題され、それに合うものを制限時間内にどれだけ書けるかを競合し、各チームは優勝者を予想した。 熱湯チャレンジ!トップは誰だ!? 1995年春に実施。一番長く熱湯風呂に入れたか当てるクイズ。司会はガダルカナル・タカと飯島直子。 イス取りクイズ 1996年春から1999年秋まで実施された。司会は1997年春までは紳助と永井、1997年秋以降では紳助と関谷亜矢子が担当。椅子取りゲームの要領で出場者が椅子の周りを回るが、着席出来なかった出場者は敗者復活クイズに臨むことになる。問題は、常識的なものを出題していた。クイズに正解すれば再びゲームに参加できるが、その場合、椅子に着席している出場者からターゲットを一人指名して代わりに座り、指名された者は失格となる。最後まで残ったチームには50萬、2位には10萬。このクイズは後に『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』の特番の1コーナーとして、当番組と同様に紳助司会で行われた。 覆面クイズ正解は多数決!! 1997年秋から1999年秋まで実施された。司会は今田耕司と東野幸治で、出題は松永二三男か藤井恒久。最終問題の前の問題で芸能人にまつわる問題が出題される。9人の解答者は目の部分を摺りガラスで隠された上に声も加工して、その問いに対して被った解答数×5萬が加算されるクイズ形式である。「正直に答えない場合は-10萬」というルールもあったが、ほとんど適用されなかった。回答はスキャンダルや芸能人の裏の顔などアンダーグラウンドな話ばかり飛び出し、解答にモザイクを入れなければいけないことも多々あったため、別名「アングラクイズ」とも呼ばれた。時折、解答者が同じ席にいる別の解答者(の悪口)を答えることもあり、摺りガラス越しで激しく言い合いすることも見られた。末期は回答内容であまりに過激なものが増えたため、「しばらくおまちください」の環境画面が表示されることもあった。当番組終了後の2001年10月に1度だけ『スーパースペシャル2001』でこのコーナーの2時間拡大版が放送され、浅草キッドはこのクイズを機に日本テレビから2年間出入り禁止になったというネタを引っさげて「復帰」した。 また、番組スタッフが解答者となって出題されたこともあり、この時は通常の2倍の摺りガラスで隠された。解答が被った場合にそのスタッフが特定されないよう、スタッフが担当している番組にひっそりと得点が入ることになっていたが、全員解答がばらばらであった。 人間すごろく 1996年秋から1997年秋まで実施された。司会は紳助と久本。なお、岡村は全編にわたって出場している。サイコロを振り、止まったマスの指示に従う。指示は「魚介類を背中に入れる「網タイツを被る」「爆竹100本付き帽子を被る」「子供にくすぐられる」「ある人(松村邦洋・蛭子能収・柴田理恵)とラップ越しにキスをする」等があり、成功すると更に進行することが出来る。その際、進行した先のマスの指示は受けない。また、失敗すると戻るという指示があるマスも存在する。 腕ずもう早押しクイズ!! 1996秋と1997春に実施された。司会は1996秋ではウッチャンナンチャン・鶴瓶・永井、1997春ではナインティナイン・鶴瓶・永井。2チームによる対決であり、腕ずもうをし勝った方が答える。難しいクイズの場合はわざと負けて相手に答えさせることもできる。クイズを間違えた場合は相手チームの勝利。クイズ出題ナレーションは松永。 クイズ!冠婚葬祭!! 1996年春と1996年秋のみ実施された。司会は1996春では草野仁・みのもんた・笛吹雅子、1996秋では草野と楠田。冠婚葬祭にまつわるクイズを勝ち抜け方式で行われた。解答者は全員畳に正座して行い、正解すればその場から去る。1抜けから4抜けまでは30萬→20萬→10萬→5萬が加算され、最後まで残った解答者がいたチームは、春は100萬、秋は50萬減額される。 芸能人秘密のイエスを探せ! 末期の1998年秋から1999年秋まで実施された。司会は最初の2回は矢部浩之で、1999年秋のみ紳助と楠田枝里子が担当した。ある質問にイエスを挙げるパネラーを的中するクイズで、予想したパネラーが「イエス」を挙げればそのチームメイトがいるチームに10萬が加算される。初回は予想屋の岡村隆史がイエスを挙げるパネラーの予想を参考にして解答したが、2回目は岡村が全問を通して解答者として参加した。 このクイズの前身として1998年春に行われた「バイ倍ゲームNO!でアウト」があり、予想を当てると得点が16萬、32萬、64萬…とダブルアップしていき、外すと無得点というルールだった。この時の司会は久本とKinKi Kids。 問題は「二十歳までにファーストキスをした」「株に手を出し失敗した」「私はオナラをした事がない」「お見合いをした事がある」「ハワイに行った事が無い」「昨夜愛する人と熱い口づけをした」など。 顔面!にらめっこバトル 1997年春から1997年秋まで実施された。司会は1997年春の回は今田と東野で、1997年秋の回は所と楠田が担当した。代表者の顔をチームメイトがメイクし、相手チームの代表者が牛乳を吐き出したらそのチームが勝ちとなり、そのチームの代表者とチームメイトがいるチームに20萬が加算される。 今夜だけOK!カンニングクイズ 1998年春に1回だけ実施された。司会は今田と東野。ある問題に対して解答するのだが、仕切りの壁には穴が2つ開いており、解答者は隣の解答者が書いた解答を覗き見ることが出来る上に、隣の解答者と同じ解答をカンニングして書き、隣の解答者の答えが正解だった場合、同じ解答を書いた解答者も正解となる。隣の相手への妨害もOKである。 クイズ!落ちたら負けよ! 司会は1997年春では古舘とマルシア、1997年秋では福澤。 クイズサビからヒッパレ 1994年秋から実施。司会は三宅裕司とグッチ裕三(1995年春まで)→中山秀征(1995年秋以降)だが、1995年秋・1997年春では中山と安室奈美恵。1995年春までは、イントロクイズの要領でサビの一部分を流し、その曲名を当てる。1995年秋以降は、イントロで流れる音楽を早く押したチームからサビの部分を歌う。途中で歌詞を間違えたり、歌わなかったりするとアウトになり次のチームに交代する。
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