中国での数学の発展とは? わかりやすく解説

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中国での数学の発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:08 UTC 版)

数学史」の記事における「中国での数学の発展」の解説

中国では古代から算籌さんちゅう)と呼ばれる小さな木っ端や竹などを用いた計算が行われていた。「算」の字は、算籌を表す「竹」と、揃えるという意の「具」の会意であるといわれる。この計算方法では、算籌によって表した一から九までの基数位取り式に並べることで様々に数を表した。これを用いて加減乗除から求根、方程式を解くに至るまで様々な算術扱われ中国数学はこの計算術の下で発展した紀元前212年に、秦の始皇帝秦国外の書物をすべて燃やすことを命じた。この命令が完全に遂行されることはなかったが、結果として古代中国数学に関しては僅かしか知られていない。周(紀元前1046年〜)以降焚書免れた最古数学書は『易経』であり、哲学数学、および神秘的目的で、8種3組三重)および646組(六重)が使用される。各組は分割した、または切れ目の無い直線構成されそれぞれ陰「女性」陽「男性」と呼ばれる。(六十四卦参照中国幾何学現存する最も古い書物は、紀元前330年頃の墨家哲学原理で、墨子紀元前470390年)の後継者により編纂された。『墨経』は、物理化学に関する様々な分野記述し数学について僅かながら書き示した焚書の後、漢(紀元前202年西暦220年)は、現在失われた書物拡張した推定される数学書生み出した。最も重要な書物は『九章算術』であり、全編完成したのは遅くとも西暦179年だとされている。しかし、一部別の書名の下にそれ以前から存在した。この数学書は、その名の通り九つ、すなわち方田・粟米・衰分・少広・商功・均輸・盈不足・方程・勾股の章に分けて農業商業幾何学工学測量に関する246語の問題構成され特別な直角三角形および円周率要素含んでいる。また、体積におけるカバリエリの定理を、西洋カバリエリ提案する1,000年以上前使用していた。ピタゴラスピタゴラスの定理数学的証明、およびガウスの消去法数式含まれている。方程連立方程式のこと)の章では、益の数・損の数を表す正算・負算という赤と黒算籌区別用いて連立方程式解き正負計算法則までも述べている。この書は中国朝鮮では長い時期わたって重要な数学教科書一つとして扱われた。この書の研究としては西暦3世紀劉徽による論評問題解法数学的考察が行われた。 さらに、漢の天文学者発明家である張衡西暦78139年)の数学書には円周率の公式化があり、劉徽計算異なっていた。張衡は、球体体積求めるために円周率の公式使用したまた、数学者音楽理論家京房紀元前7837年)は、ピタゴラスコンマ用いて53完全五度31オクターヴほぼ等しいことを述べた。これは後に、ドイツニコラス・メルカトル17世紀53平均律発見するまで、正確に計算されることはなかった。 南北朝時代祖沖之5世紀)は、円周率の値を小数点以下第7位まで計算した。これは以後1,000年間、最も正確なであった。 漢に続く唐の開始と宋の終わりまでの約1,000年間ヨーロッパ数学存在しない時代に、中国数学繁栄した官僚登用試験である科挙においても数学科目含まれ初期中国主な数学業績集めた算経十書』が教科書として推奨された。 中国最初に開発され、後に西洋多く知られるものに、負の数二項定理線型方程式解決するための行列手法、および中国の剰余定理がある。中国ではまた、ヨーロッパで知られる前にパスカルの三角形帰一算開発された。この時代大い発展した算法天元術がある。これは算籌用いた代数問題解法であって問題与えられ条件から計算施して等式から一元数次方程式作る算法である。朱世傑はこれを四つ未知数まで拡張させて高次四元連立方程式解法四元術を創った。また、方程式自体を解くために、天元術とともに一般次数における方程式近似解法開方術(いわゆるホーナー近似解法)が発展した。この天元術を主とした中国算法江戸時代の日本伝わり和算発展大きな要因となった祖沖之朱世傑の他に、唐や宋の時代重要な人物として、一行沈括、賈憲、秦九韶李冶達がいる。科学者沈括は、微分積分学三角法度量衡学 (Metrology) 、順列に関する問題使用して特定の戦闘陣形が使用できる地勢空間や、兵糧の量に対して継続可能な軍事作戦の期間を計算した中国ではまた、魔方陣として知られる複雑な結合図表古くから述べられ楊輝 (Yang Hui) (西暦1238〜1298年)によって完成された。 その後17世紀初年においては中国資本主義がめばえ、商業算術発展してそろばん用いた珠算普及し初等的な実用数学重要視された。よって高度な数学研究大きく減少しくわえて丁度この時にマテオ・リッチMatteo Ricci, 利瑪竇)ら宣教師たちにより西洋数学伝来し中国数学西洋科学ととって替わられ、衰退一途を行くこととなった古代中国の数学方法インド伝えられたという直接記録はないものの、インド数学におけるいくつかの方法古代中国のそれに類似しており、何らかの伝播があったことを示唆している。6世紀頃におけるインド数学における位取り記数法導入影響与えているとの見方示している。そのほかにインド数学における分数の記法や比例問題解法などの算法円周率表示 3927/1250 などに中国の数学との類似や一致が見られるインド通じたイスラム圏へ中国数学伝播の他に、元の西進による中国の暦法がイスラム圏伝えられた。さらに、アル・カーシーによる「算術の鍵」(1427年)の中で行われている算法いくつか宋・元時代中国発展させられたものと一致している。とはいえヨーロッパ数学ルネサンスの間に栄えた後でさえ、重要な中国数学成果衰退する中、ヨーロッパ中国の数学総じて別個の流儀であった。後にマテオ・リッチのようなイエズス会宣教師16世紀から18世紀にかけて2つ文化の間で数学思想交流させた。

※この「中国での数学の発展」の解説は、「数学史」の解説の一部です。
「中国での数学の発展」を含む「数学史」の記事については、「数学史」の概要を参照ください。

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