ヤンキース第1期黄金期本塁打記録とは? わかりやすく解説

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ヤンキース第1期黄金期・本塁打記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:38 UTC 版)

ベーブ・ルース」の記事における「ヤンキース第1期黄金期・本塁打記録」の解説

1921年から1928年まで、ヤンキース第1期黄金時代迎えアメリカンリーグで6回優勝しワールドシリーズ3回優勝したその中でルースは、もうこれ以上本塁打記録生まれないと言われ本塁打記録をさらに更新する活躍見せた1921年打率.378、59本塁打記録しヤンキースチーム史初のリーグ優勝に導く。7月18日には、現役通算139本目本塁打放ちそれまで通算本塁打王だったロジャー・コナー記録をたった8年プロ選手生活で更新するルースの名前はもはや本塁打同義語として扱われ野球というスポーツそのもの新しくパワー概念導入したルース打った中で一番大きな本塁打は、1921年7月18日デトロイトのネビン・フィールドでの一本といわれている。センター場外消えていった打球は、175メートル特大であった1921年当時は現在とは多少ホームランに関するルール異なっていたため、もし現行のルールルースシーズン送っていたら、彼はこの年104本の本塁打記録していただろうという研究もある。ビル・ジェンキンソンが2006年執筆した本 “The Year Babe Ruth Hit 104 Home Runs” (和題:ベーブ・ルース104本塁打打った年)によれば1931年までアメリカンリーグではファウルポール直撃した打球エンタイトルツーベース扱いであったまた、フェアゾーンでフェンス越えファウルポール巻いてファウルゾーン落ちた打球は、現在では当然のごとく本塁打扱いになるが、当時ファウルであった。これらのデータ全て集計すると、ジェンキンソンによればルース104本塁打記録していたことになる。それでも、ルースこの年記録した塁打数 (457) 、長打数 (119) 、出塁数 (379) は、未だに破られていないMLB記録である。 ヤンキース1921年ワールドシリーズまで進出した際、非常に高い期待背負っていた。相手チームニューヨーク・ジャイアンツ対し最初の2試合勝利したが、ルースが第2戦で盗塁をした際に肘を故障結果的にルース残り試合欠場最終戦のみ代打出場)し、ヤンキースジャイアンツ敗れた。このワールドシリーズでは、ルース打率.316、1本塁打、5打点記録している。 この直後ルースはまた不祥事巻き込まれることになる。ワールドシリーズ終了後ルース地方巡業参加したのだが、当時シリーズ出場選手オフ商業試合出場することが禁止されていた。選手勝手にワールドシリーズ再戦」と銘打った試合オフに組むことにより、シリーズ自体商品価値が下がるのを防ぐのがルール目的であった。これを受け、当時コミッショナーケネソー・ランディスルース1922年シーズン最初の6週間出場停止とした。 なお、この年ルース打撃に関する研究のため、コロンビア大学招かれた。その結果研究者ルースが最も強打できるコース外角ひざ上の高さであることを発見した。さらに、完璧な打撃をした場合のスイングスピードは秒速34メートル(120km/h超)で、ボール飛距離は140から150メートルにまで達すということわかったまた、異なサイズ小さな穴に棒を差し込んでいくことで根気調べ臨床試験では、ルース500人の被験者最高位示した。他にも、ルースの目は暗室点灯する電球に対して常人よりも20ミリ秒早く反応するなど、いずれも超人的な計測結果記録した。このことについて、チームメートのジョー・デュガン(英語版)は「ルース普通に生まれたんじゃない。奴は木から落っこちて来たのさ」と表現している。 1922年5月20日処分解けたルースは、ヤンキースキャプテン就任する。しかし、その5日後に、審判に泥を投げて退場処分を受け、さらには観客乱闘をするという醜態晒したために、キャプテン地位剥奪された。同年ルースは110試合出場し打率.315、35本塁打99打点記録するこの年ヤンキースワールドシリーズ出場し再度ニューヨーク・ジャイアンツと戦うが、またもチーム敗退ジャイアンツ監督ジョン・マグローは、自チーム投手に「ルースにはカーブし投げるな」と指示し、これが功を奏してルース17打席でわずか2安打という大不振シリーズ終えた1923年ヤンキース本拠地を、それまでジャイアンツから間借りしていたポロ・グラウンズから、ヤンキー・スタジアムへと移転する。「ルース建てた家」と呼ばれたこの球場開場した試合で、第1号本塁打飾ったのはルースであった。このときのバット2004年12月2日に1,265,000ドル落札され、最も高価落札され野球バットとしてギネス世界記録に認定された。1923年シーズンルース自己最高打率.393、41本塁打記録この年3年連続ワールドシリーズ組み合わせヤンキースジャイアンツになったが、ルース過去2年間の鬱憤を晴らすかのように猛打炸裂打率.368、3本塁打長打率1.000を記録したヤンキースチーム史上初のワールドチャンピオン輝いたルース1924年三冠王級の活躍見せる。打率.378で自身唯一の首位打者に輝くと、両リーグ1位の46本塁打記録121打点グース・ゴスリン129わずかに届かない2位であったこの年ヤンキースワシントン・セネターズに2ゲーム差リーグ2位に終わったここまで好成績残してきたルースではあったが、1925年にはプロ入り初めての挫折見舞われる試合前にホットドッグソーダ水飲み続けるなどの不摂生性病、そしてアルコール過多などにより、高熱腹痛悩まされるようになった正確な病因は現在でも不明ではあるが、この年ルースヤンキースでの選手生活の中で最低のシーズン打率.290、25本塁打)を送る。ヤンキース6985敗と大きく負け越した1926年一念発起してそれまで不摂生な生活を改め練習打ち込み打率.372、47本塁打146打点成績回復させた。ヤンキースリーグ優勝果たしワールドシリーズへと駒を進めるが、ロジャース・ホーンスビー擁するセントルイス・カージナルスに3勝4敗で敗れたルース自身は第4戦に3本本塁打放つなど、バットでは貢献するものの、走塁ミス犯す。2対3ヤンキース1点差を追っていた第7戦、9回裏2アウト一塁走者だったルース果敢に二塁盗塁を狙うも、呆気なく刺されてしまい、チーム敗退。これはワールドシリーズ史上唯一シリーズ盗塁死で終わった事例となっている。なお、この1926年のワールドシリーズでは、ルースは病の床にあった11歳少年ジョニー・シルベスター(英語版)にホームランを打つことを約束し実際に約束果たしている。 1927年ヤンキース歴史的なチームであり、その打線はあまりの強烈ぶりから「殺人打線英語版)」と呼ばれていた。チームリーグ記録となる110勝を達成し19ゲーム差リーグ制覇。ワールドシリーズでもピッツバーグ・パイレーツ相手に4連勝ワールドチャンピオン輝き見事な形でシーズン終えたシーズン中チーム順位早々決ししまっていたので、国民全体期待ルースが何本の本塁打を打つのか、というところに注がれた。それまで記録ルース自身が持つ59であったが、それを超えるには幾つもの高いハードルがあった。年間59本を達成した1921年当時比べて相手投手まともにルース勝負しなくなっており、ルース自身長年不摂生から来る故障などを抱えていた。だが、60号を達成するにはプラス要素もあった。強力な打線ゆえに打席がたくさ回ってくること、そして、チームメイトであり、ルース自ら打撃指導するなどしていたルー・ゲーリッグ台頭である。実際シーズン途中まではゲーリッグルース本塁打数を上回るなど活躍9月1ヶ月間でルース17本塁打放つなどして追い抜いて9月30日には60号を達成するが、後年ルースは、ゲーリッグ存在大きく、彼がいたから相手投手ルース勝負せざるを得なくなっていたと述べている。この年は、151試合出場で、60本塁打加えて打率.356、164打点長打率.772を記録。実に4度目となる本塁打記録更新であった1928年ヤンキースにとっては良いスタートとなり、7月時点2位チーム13ゲーム差突き放すことに成功していたが、その後けが人増加投手陣崩壊なども重なりチーム成績停滞その間フィラデルフィア・アスレチックス快進撃遂げ9月一瞬だけ、ヤンキースから1位を奪取することに成功。しかし、同月直接対決4連戦ヤンキースが3勝し、首位の座を再び奪還することになる。ルース成績チームパフォーマンス比例していた。自身チーム同様、ロケットスタート成功し8月1日時点では42本塁打放っていた。これは、前年60ペースをさらに上回るものであった。ところが、シーズン後半に踵の痛み悩まされ最後の2カ月では、たった12本しか本塁打を打つことができなかった。それでも最終的にシーズン54本塁打記録残し自身4度目50本塁打達成することとなった1928年のワールドシリーズは、1926年再戦となった対戦相手カージナルスホーンスビートレード退団していた以外は2年前のチーム変わっていなかった。このシリーズでは、ルース打率.625(ワールドシリーズ史上2位記録)を記録し、第4戦では再度3本本塁打放つ。さらにゲーリッグ打率.545を記録しヤンキースカージナルス相手に3連勝するヤンキースワールドシリーズでの4連勝スウィープ)を2年連続達成した初のチームとなった

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