ボストンでの成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:03 UTC 版)
「ケビン・ガーネット」の記事における「ボストンでの成功」の解説
ボストンに集ったポール・ピアース、レイ・アレン、そしてケビン・ガーネットの3人は、強力なトリオとして注目を集めた。3人の年俸総額だけでチームの全予算の1/4を占めた(ガーネットは2009年で切れる現行の契約満了後の3年総額6,000万ドルの契約にサインしている)。人々はセルティックスの大きな成功を予想し、80年代にセルティックスの黄金期を築き上げたラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュのトリオと比較して、ピアス、アレン、ガーネットの3人をビッグスリーと呼び、かつての栄光の復活を期待した。一方で3人に戦力と予算が集中し過ぎているという指摘もあり、ガーネットやアレンとのトレードで閑散としているロスターの補強が急務となったが、一躍優勝候補筆頭に躍り出たセルティックスへの移籍を多くの選手が望み、セルティックスはジェームス・ポージー、P.J.ブラウン、そしてガーネットとは元チームメートのサム・キャセールの獲得に成功している。なお、学生時代以来一貫して着用し続けていたガーネットの背番号『21』は、セルティックスではビル・シャーマンの永久欠番に指定されているため、ガーネットは背番号『5』でプレーすることになった。 ガーネットの雄叫びする姿がTDガーデンの巨大スクリーンに映し出されて始まったセルティックスの2007-08シーズン開幕戦。セルティックスはワシントン・ウィザーズを103-83で一蹴し、ガーネットは22得点20リバウンド5アシスト3スティール3ブロックという文句のつけようがない成績でボストン市民の前に登場した。セルティックスは怒涛の勢いで勝ち続けた。ピアス、アレン、ガーネットの3人はアンセルフィッシュな性格でポジションも重ならないため上手く噛み合うだろうと予想されたが、彼らの相性の良さは前評判以上で、セルティックスは最初の32試合を29勝3敗の成績で消化する。彼らの成功の鍵はディフェンスの大幅な強化であったが(平均90.3失点はリーグ2位、被FG成功率41.9%はリーグ1位)、その根幹となったのがガーネットの存在であり、彼の気迫漲るディフェンスはセルティックスのディフェンス力を劇的に向上させるだけでなく、選手たちの意識改革をも促した。ガーネットのこのシーズンの個人成績はウルブズでエースを努めていた頃と比べればずっと劣る平均18.8得点9.2リバウンド3.4アシストだったが(9年間続けてきた平均20得点10リバウンド以上はこの年に途絶えた)、むしろガーネットへの評価は上がり、オールスターファン投票では1位となる2,399,148票を集め(腹部の怪我のため、試合には出場できなかった)、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに名を連ねると共に、NBA最優秀守備選手賞をも受賞した。長い歴史を誇る名門セルティックスだが、同賞を受賞したのはガーネットが初めてだった。また3月8日のメンフィス・グリズリーズ戦では史上32人目となる2万得点を達成している。レギュラーシーズンが終わってみればセルティックスの成績は66勝16敗。前年の24勝から42勝を上積みする史上稀に見る大躍進だった。 プレーオフに入ってもセルティックスに敵無しと思われたが、ファイナルへの道のりは茨の道となった。1回戦、37勝45敗とセルティックスより遥かに劣る成績で9シーズンぶりのプレーオフ進出を果たしたアトランタ・ホークスに、セルティックスは第7戦まで粘られるという思わぬ大苦戦を強いられたのである。第7戦でようやくホークスを退けたセルティックスだったが、次に待ち受けていたのがレブロン・ジェームズ率いるクリーブランド・キャバリアーズだった。ここでもセルティックスは大苦戦し、シリーズはやはり第7戦までもつれた末に、今度も辛うじてキャバリアーズを退け、カンファレンス決勝進出を決めた。ここまでホーム全勝、ロード全敗という極端な勝ち方、負け方をしているセルティックスは、第1シードの特権であるホームコートアドバンテージの恩恵によって辛うじて勝ち上がってきたが、チャンシー・ビラップス擁するデトロイト・ピストンズとのカンファレンス決勝第2戦でついにボストンでの敗北を喫してしまう。セルティックスのNBAファイナル進出に黄色信号が点ったかに見えたが、しかしデトロイトでの第3戦ではガーネットの22得点13リバウンド6アシストの活躍もあってセルティックスがロード初勝利をあげると、その後の3試合を2勝1敗としたセルティックスが4勝2敗でシリーズを制し、ついにセルティックスにとっては21年ぶりの、プロ13年目を迎えるガーネットにとっては初のファイナル初進出を決めた。 ファイナルではセルティックス永遠のライバルであるロサンゼルス・レイカーズとの21年ぶり10回目の名門対決が実現。一時不遇の時期を味わった西の名門もこの年にパウ・ガソルを獲得してコービー・ブライアント、ガソルのビッグデュオが完成し、4年ぶりのファイナル進出を決めていた。ついに優勝が手に届くところまできたガーネットは、この大舞台で全試合で二桁リバウンドをあげるなど気迫のプレーを見せた(全試合でリバウンド二桁はデニス・ロッドマン依頼である)。第1戦で24得点13リバウンドをあげてレイカーズに先制パンチを浴びせると、問題のロード3連戦を1勝2敗で切り抜け、そして王手を掛けて迎えた第6戦ではガーネットの26得点14リバウンド4アシスト3スティールの活躍で序盤からレイカーズを圧倒し、前半だけでこの日の勝利を決定付けてしまった。すでに死に体となったレイカーズにセルティックスは第4Q、ガーネットをはじめとする主力選手をベンチに下げ、会場にはSteamの"Na Na Hey Hey Kiss Him Goodbye"の大合唱が鳴り響く中、ガーネットはコートサイドからセルティックスが22年ぶり17回目の優勝を果たす瞬間を見届けた。試合終了のブザーが鳴り響くと共にガーネットはコート中央に駆け寄り、センターサークルに描かれたレプラコーンに跪き、口付けをして「Top of the world!」と叫び続けた。 初優勝以降 チャンピオンチームとして臨んだ2008-09シーズンもガーネットを中心とした強固なディフェンスは健在であり、チームは開幕から好調を維持し、シーズン途中にチーム史上最多の19連勝を達成する。オールスターにもガーネット含めビッグスリーが揃って出場し、順調に連覇への階段を上っているかに見えた。しかし、2月19日の対ユタ・ジャズ戦、ガーネットは膝を故障するアクシデントに見舞われる。当初はそれほど重い怪我ではないとされていたが、最終的にこの怪我によってプレーオフを含む今シーズン残り全ての試合を欠場することとなってしまう。守備の要であるガーネットを失ったチームはディフェンスが悪化し、ガーネットが欠場した後半22試合の平均失点は99.3点にまで跳ね上がってしまった(08-09シーズン全体では93.4失点)。控えのレオン・ポウやグレン・デイビスらも懸命に穴を埋めたが、ポウも終盤に靱帯断裂の大怪我を負い、チームへの負担はさらに増すこととなってしまった。ガーネットを失ったチームは最終的にカンファレンス2位、62勝20敗の成績でプレーオフに駒を進めるも、1回戦で格下と見られたシカゴ・ブルズに第7戦まで持ち込まれ、うち4試合でオーバータイムに突入する(計7回)という大苦戦を強いられる。なんとかブルズを退けるも、ピアースやアレン、ロンドら主力の疲労が限界に達し、カンファレンス準決勝でオーランド・マジックと対戦するも、第7戦までもつれた末に敗退した。皮肉にもディフェンスにおけるガーネットの存在感が欠場することによって改めて大きく示されたシーズンとなってしまった。 2009-10シーズン、ガーネットは膝の痛みに悩まされ続け、平均出場時間は30分を下回る29.9分、個人成績は14.3得点7.3リバウンドとなり、オールNBA、オールディフェンシブ両チームいずれにも選考されなかったのは12年ぶりのことだった。オールスターには選ばれ、通算13回目の選出は史上3位タイとなった。大黒柱の不調でセルティックスは波に乗れず成績は50勝32敗と伸び悩み、ファイナルは遥かなる頂のように思われたが、成長目覚ましいレイジョン・ロンドの活躍でセルティックスはプレーオフを勝ち抜き、カンファレンス準決勝ではシーズン最高勝率を収めたクリーブランド・キャバリアーズを4勝2敗で破り、ガーネットはキャバリアーズの新戦力、アントワン・ジェイミソンをシリーズを通して封じて見せた。カンファレンス決勝、オーランド・マジックとのシリーズではリーグ最強センターのドワイト・ハワードをガーネットを中心とした組織的なディフェンスで抑え、4勝2敗でシリーズを制して誰もが予想しなかったファイナル進出を果たした。ファイナルでは前年チャンピオンのロサンゼルス・レイカーズと2年ぶりの対決。勢いに乗るセルティックスは充実のレイカーズに対して最初の5試合を3勝2敗と先に王手を掛ける大健闘を見せたが、優勝を賭けた第6戦で先発センターのケンドリック・パーキンスが負傷退場するという不運に見舞われ、ガーネットも万全とは程遠く、インサイドが手薄となったセルティックスは2連敗を喫してしまい、惜しくも優勝は逃した。
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