ハリアーの導入に関する検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:51 UTC 版)
「海上自衛隊の航空母艦建造構想」の記事における「ハリアーの導入に関する検討」の解説
1960年代後半、初の実用垂直離着陸機としてホーカー・シドレー ハリアーが開発されると、日本はその有力な採用候補国と見做されるようになっていた。1970年8月に練習艦隊がポーツマスを訪れた際には、練習艦「かとり」の上空でトニー・ホークスの操縦するハリアーGR.1がデモフライトを行っており、ヘリコプター甲板の強度が不明で着艦は断念されたものの、かわりにホバリングしてオリエンタル式のお辞儀を披露してみせた。また翌1971年に小牧基地で第3回国際航空宇宙ショーが開催された際にはイギリス空軍のハリアーGR.1が派遣され、ショーの後には岐阜基地で自衛隊関係者に披露された。 このように売り込みは図られたものの、ハリアーは超音速を発揮できない上に、当初の第一世代ハリアーは火器管制レーダーを持たず、長射程の対艦・対空ミサイルを装備できないことから、航空自衛隊の運用構想には合致しなかった。しかし、ホーカー・シドレー社の極東営業代表が訪日して防衛庁に売り込みをかけた際に、帝国海軍の伝統として空母の装備を悲願としている海上自衛隊は以前からVTOL機に関心を持っていたため、もっとも積極的な反応を示していた。海上自衛隊がVTOL機に注目する理由として、1.滑走路がいらないので、大型の護衛艦の甲板から自由に発進できる、2.航空機の攻撃にもろい艦隊の弱点を補うためには、艦対空ミサイルだけでは不十分で、もっと先に出て相手機をとらえる航空機が必要、3.VTOL機なら護衛艦にも積めるので、我が国の周辺海域の防空という目的に適していることが挙げられた。海上幕僚監部は4次防中に、VTOL機をどのような作戦予想のもとに装備するのか、積載する艦の規模、積載機数、VTOL機を輸入にするか、国産開発が軌道に乗るのを待つかなど、具体的な検討を行って5次防作成時までに結論を出すつもりでいた。1982年9月21日にイギリスのマーガレット・サッチャー首相が来日した際には、同首相は「経済力の発展は防衛の義務をも発生させる」とした上で、「同じ海洋国家として英国は、日本が自国の領土、死活を決めるシーレーンを防衛できる力を備えるべきだと気づかっている」と発言し、改めてイギリス製のハリアーの導入を求めていた。 その後、1988年に防衛庁・海上自衛隊が将来の艦隊防空の主要装備としてV/STOL戦闘機の研究を開始したことを受けて、ブリティッシュ・エアロスペースとマクダネル・ダグラスはハリアー IIの日本への共同売り込みを行っていた。ブリティッシュ・エアロスペースはコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドを、マクダネル・ダグラスは日商岩井を代理店とし、四社の共同チームが防衛庁や日本の航空機メーカーへの情報提供活動を行っていた。海上自衛隊上層部は「敵のミサイル母機に対処するには現行ハリアー IIでは速度、航続距離などが物足りない。装備する場合は改良が必要」との立場であり、ブリティッシュ・エアロスペースとマクダネル・ダグラスはハリアー IIの性能向上型に日本の要求を取り入れていく姿勢を見せていた。上記四社の企業チームは三菱重工業、川崎重工業、富士重工業など航空機大手とも接触しており、日本企業からは「V/STOL技術を学ぶチャンス」との声も出ていたという。対日売り込みモデルは、アメリカ海兵隊のハリアー IIよりも高性能の能力向上型であった。海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦に飛行甲板の補強と海上発射台の装備といった改修を行って2~3機のハリアー IIを運用できるようにし、軽空母がなくても海自全体で30~50機(予備を含む)のハリアー IIを展開できるようにする構想も出ていた。 1989年7月、マクダネル・ダグラスはAV-8B ハリアー IIとF/A-18 ホーネットの日本での独占的販売代理権を上記の日商岩井から丸紅に変更した。丸紅は1976年2月に発覚したロッキード事件以降、大型旅客機や軍用機のビジネスから手を引いていたが、軍用機からも手を引いたことに対する無念の思いは強かったとされ、かねてより因縁があった日商岩井からマクダネル・ダグラスの二つの機種の代理権を奪い取る形で軍用機ビジネスへの復帰を果たした。ハリアー IIは、防衛庁による「防御型軽空母」の導入論議が現実味を帯びてくれば、採用の最有力候補機となる公算が大きいとされていた。 2003年(平成15年)10月2日の衆議院安全保障委員会において、03中期防中にAV-8B ハリアー II 4機、及びAV-8B+ハリアー IIプラス 13機、合計で17機調達し、8年度以降の次々期防ではそれぞれを32機以上と4機以上の計36機以上を購入する計画を含む「海自次期防計画 海幕素案」と称する海自内部資料についての質問がなされたが、石破茂防衛庁長官(当時)により否定されている。また、同時期にAV-8B+ハリアー IIプラスを搭載した艦艇の構想があったが、政治的理由で頓挫したほか、複座型ハリアーを訓練支援機(研究機)として3機導入する案が検討された。2007年12月21日の東京新聞によれば、1995年に海上幕僚監部防衛課は翌年の中期防衛力整備計画に空母保有の布石としてAV-8B+ハリアー IIプラスを導入する方針を固め、「(ハリアー IIプラスを)補給艦から発進させ、敵機に見立てて洋上防空の訓練をする」との理屈を立てたが、これも内局の反対でとん挫したという。 このほか、1990年(平成2年)12月に閣議決定した03中期防の策定過程で、海自は中期防に直接盛り込む装備とは別に「将来構想」としてV-22の救難機としての導入を提案している。
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