グレート・ゲーム
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グレート・ゲーム(英: The Great Game)とは、中央アジアの覇権を巡るイギリス帝国とロシア帝国の敵対関係・戦略的抗争を指す、中央アジアをめぐる情報戦をチェスになぞらえてつけられた名称[1]。イギリス東インド会社の一員であったアーサー・コノリーが1840年にヘンリー・ローリンソン少佐にあてた手紙の中ではじめて命名したといわれる。後に『ジャングル・ブック』で知られるイギリスの作家ラドヤード・キップリングの小説『少年キム』(1901年)により広く使われるようになり、なかば歴史用語として定着した[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d 江本 2001, pp. 19–28, 『日露』前夜.
- ^ “Central Asia: Afghanistan and Her Relation to British and Russian Territories”. World Digital Library (1885年). 2013年7月28日閲覧。
- ^ 江本 2001, pp. 24–25, 『日露』前夜.
- 1 グレート・ゲームとは
- 2 グレート・ゲームの概要
- 3 概要
- 4 グレートゲーム
- 5 新グレートゲーム
- 6 外部リンク
グレートゲーム
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詳細は「グレートゲーム」、「デュアランド・ライン」、「パンジャーブ」、および「カイバル・パクトゥンクワ州」を参照 イギリス植民地統治下のインドでは、国内の様々な地域に大小無数に散在する藩王国をイギリスが間接的に統治していた。 1885年、アフガニスタン首長国(en)とロシア帝国とのパンジェ紛争(英語版)が発生。 1886年、フランシス・ヤングハズバンドが満州からゴビ砂漠を横断し、カラコルム山脈のマスタフ峠(英語版)を越えてインドに至る「中国-インド間のルート」を開拓。 1889年にフンザによる「ヤルカンド-インド間の交易路」への襲撃が激化。1890年に、ヤングハズバンドが南下するロシア帝国のブロニスラフ・グロンブチェフスキー(英語版)率いるロシア軍兵士にワハーン回廊のボザイ・グンバズ(英語版)で拘束されそうになる事件が発生し、1891年のフンザ・ナガル戦争(英語版)が勃発。
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