アメリカ軍伊江島補助飛行場(占領下)
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1945年(昭和20年)8月18日:日本政府の緑十字飛行が木更津とマニラとの間で開始。 1947年(昭和22年)3月11日:一部が解放される。久志村と慶良間島の難民収容所から住民が帰還し居住開始。 1953年(昭和28年)3月11日:アメリカ軍が真謝、西崎両区の土地を射爆撃場建設のため農地の接収通告をし、4戸が立ち退き。 1954年(昭和29年)6月:アメリカ軍による射爆撃場建設工事着手。 1954年(昭和29年)8月:射爆訓練場の拡張のための地上標的を設置するため、更に農地の明け渡しを通告。真謝区78戸、西崎区74戸の計152戸が対象。住民の陳情、反対闘争により15戸に縮小。 1955年(昭和30年)3月:工兵部隊が工事着手。 1955年(昭和30年):キジャカ部落に通信施設を建設するため農家を接収。 1960年(昭和35年):キジャカ部落に通信施設を建設するため農家を接収。1955年と合わせ30戸が立ち退き。 1965年(昭和40年)4月15日:一部が返還される(約1.5ha) 1967年(昭和42年)5月:住民により「伊江島土地を守る会」が結成される。 1970年(昭和45年)6月30日:一部が返還される(約0.5ha)。住民側は反発を強め団結道場を建設。 「銃剣とブルドーザー」を参照 1955年3月、アメリカ軍による強制接収の経緯があり、那覇防衛施設局も『調和 基地と住民』にてそれを認めている。そのため、1990年代に入っても契約拒否地主を数多く生み出すこととなった。アメリカ軍は島の面積のおよそ3分の1、35.3%の区域面積を占有した状態にあるが、一方で、1996年の跡地利用構想の策定範囲は訓練場として使用されている327haにとどまり、その他の敷地の大半は黙認耕作に使用されている。この土地利用の扱いについても課題があることを内閣府沖縄総合事務局などが指摘している。
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アメリカ軍伊江島補助飛行場(沖縄県)
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1972年(昭和47年)5月15日:沖縄一帯のアメリカからの占領復帰に伴い、日米地位協定の下で日本国より施設・区域が提供される形になる。 1972年(昭和47年)12月7日:降下訓練をしていたグリーンベレー隊員1人が、誤って飛行場の東3kmにある伊江西小学校の屋根へパラシュートで降下。 1973年(昭和48年)9月28日:演習場内の地元の採草・放牧地にアメリカ軍が枯れ葉剤を散布し、約2,000㎡の牧草を枯らした。 1976年(昭和51年)7月8日:第16回日米安全保障協議委員会にて、移設条件付全部返還が合意される。 1977年(昭和52年)3月31日:0.6haが返還される。 1982年(昭和57年)5月15日:公用地暫定使用法の期間満了に伴い、未契約地4.4haが返還される。 1985年(昭和60年)4月1日:訓練区域の一部(第2区域)が返還される。 1987年(昭和62年)5月14日:約0.2haが返還される。 1989年(平成元年)10月:ホーカーシドレー・ハリアー用パッド完成。 1992年(平成4年)9月30日:信号弾により施設内黙認耕作地で火災発生、1,428 ㎡を焼失。 1996年(平成8年)12月2日:SACOにより読谷補助飛行場で行われていたパラシュート降下訓練の伊江島への移転合意。「伊江島訓練場跡地利用計画基本構想」の策定に着手。 1998年(平成10年)3月26日:通信施設として、建物100平方メートルを追加提供する。 2003年(平成15年)8月26日:工場等として、建物800平方メートルと工作物(門等)を追加提供する。 2004年(平成16年)11月4日:門等を追加提供する。 2016年8月22日、強襲揚陸艦の甲板を模した着陸帯 (LHDデッキ) の改修工事開始。面積が53890㎡から107140㎡へと2倍に拡大され、海兵隊F35戦闘機やCV22オスプレイも収容できる駐機場 も整備される。伊江村は、負担増加につながること、また工事に関する米軍による詳細な説明がないことから工事中止を要請していた。2018年11月にほぼ完成したとみられる。12月4日には最初のF35が伊江島に飛来、同年、米海軍佐世保基地に配備された強襲揚陸艦ワスプの艦載機とみられる。 2018年、伊江島中学校が授業に米軍を活用する取り組みを始めた。在日米海兵隊の公式SNSによると赤嶺美奈子教頭が隊員に声をかけてはじめたという。2018年6月15日の閣議決定で、安倍政権が「沖縄振興策の方向性」として、「米国の協力を得た英語教育の充実」を盛り込んだ事 を受けてと思われるが、毎週の英語以外の教科にも米軍兵士が授業や給食などを中学生と共におこなっており、軍と公教育の一体化が問われている。 2021年(令和3年)9月21日:パラシュート降下訓練中のアメリカ兵2人が風にあおられて基地外の海岸線、牧草地へそれぞれ落下。ケガ人などの被害なし。
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