パラシュート降下訓練
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:34 UTC 版)
「SACO最終報告」の記事における「パラシュート降下訓練」の解説
パラシュート降下訓練を伊江島補助飛行場に移転する。 —訓練及び運用の方法の調整、SACO最終報告(仮訳) 読谷補助飛行場で行われていたパラシュート降下訓練においては、同飛行場が狭隘であったため提供敷地外への訓練兵の降下等が発生しており、1950年の燃料タンク落下における少女圧死事件や、1965年のトレーラー吊り下げ落下による少女圧死事件をはじめ、パラシュート降下訓練に関わる事故だけでも戦後から33件の事件が報告されている(2021年時点)。県や読谷村がパラシュート降下訓練の廃止と同施設の返還を強く要請した結果、SACO最終報告に基づき伊江島補助飛行場に移行することとなった(#6. 読谷補助飛行場を参照)。 しかし、伊江島補助飛行場は天候面での悪条件等訓練実施に対する制約が多いとされ、2007年1月25日の日米合同委員会において例外的な場合に限っての嘉手納飛行場利用が追加で確認された。これに基づき嘉手納飛行場でのパラシュート降下訓練が不定期に実施されているが、その常態化が懸念されており、2019年5月に岩屋毅防衛相が「米側に対し伊江島(補助)飛行場で実施するよう求めていく」としている。 一方で伊江村は、基地との共存で得た村の発展などの複雑な事情を抱えつつも、「読谷補助飛行場で実施されていた陸上のパラシュート降下訓練のみ容認しており、海域等の訓練は含まない」との立場であり、津堅島訓練場で行われている水域での訓練引受けに対しては島袋秀幸村長が反対を表明している。なお、伊江島補助飛行場で行われたパラシュート降下訓練においても、参加した兵士による民有地等への降下が発生している。
※この「パラシュート降下訓練」の解説は、「SACO最終報告」の解説の一部です。
「パラシュート降下訓練」を含む「SACO最終報告」の記事については、「SACO最終報告」の概要を参照ください。
- パラシュート降下訓練のページへのリンク