アメリカ軍側面への転進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:51 UTC 版)
「ブライアクリークの戦い」の記事における「アメリカ軍側面への転進」の解説
プレボスト大佐は、キャンベルが出発する前に考案していた攻撃作戦を実行することにした。この作戦は大きく迂回して進み、北と西にある橋でブライア・クリークを渡り、その後南に下ってクリークと川で作る三角形の土地にアッシュ隊を閉じこめるというものだった。アッシュ隊の注意を引くために破壊された橋の所で囮部隊が陽動行動を行うこととされた。 3月1日、正規兵と民兵を含む約500名の囮部隊が、公然と北に向かって進軍し、焼き落とした橋から3マイル (4.8 km) の地点で宿営した。その夜、主に第71歩兵連隊とジェイムズ・ベアードの軽装歩兵中隊から約900名の経験を積んだ兵士が抜かれた。これには5門の野砲も伴い、またフロリダ・レンジャーズの隊員など経験のある民兵隊も入った。この部隊は北のパリスミル橋まで急行軍した。 翌朝午前10時頃に到着したときは橋が壊されているのを発見し、その装備を渡すために暫定的な橋の建設に取りかかった。敵に発見されるのを怖れて、プレボストはベアードの軽装歩兵と軽装竜騎兵の中隊に3月2日の夜に川を渡らせた。この部隊はその後の行動を発見されることに対する遮蔽となり、アッシュ隊の逃亡路を遮断した。プレボストの全軍は3月3日夜明けまでに川を渡った。戦闘の参加者はアッシュの宿営地から出た偵察部隊がイギリス軍の動きに気付いていたかどうか意見の一致を見ていないが、アッシュは可能性のある敵の動きに対して特に防衛行動を採っていなかった。
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