しょぎょうむじょうとは? わかりやすく解説

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諸行無常

読み方:しょぎょうむじょう

諸行無常とは、仏教教え一つで、全ての現象事象が常に変化し永遠に不変のものは存在しないという考え方を指す。これは、生老病死といった人間生涯や、四季移り変わり日々天候の変化など、目に見える全ての現象絶え変わり続けていることを示している。また、この考え方は、物事執着することの無意味さ説き人々無常理解受け入れ促す役割果たしている。諸行無常は、仏教基本的な教義であり、日本の文化思想にも深く影響与えている。

諸行無常

読み方:しょぎょうむじょう

諸行無常とは、諸行無常の意味

諸行無常とは「この世にある全ての万物は常に変化する」「永久不変のものなどない」という意味の表現。人も家もいつかは滅びる、順風満帆人生永遠に続く訳ではない、という戒め言葉として解釈される

諸行無常の由来・語源

諸行無常は「諸行無常である」という構成四字熟語である。「諸行」は「この世全ての事物現象」を意味し、「無常」は「永遠不変のものはない」という意味の語。すなわち、「諸行無常」は「この世全て儚い」という意味である。

「諸行無常」は「諸法無我」と「涅槃寂静と共に仏教根本思想である「三法印」を構成する

宋代仏教書景徳伝灯録」では、釈迦入滅の際に沙羅双樹木の下で諸行無常と説いたとされている。

諸行無常の使い方(用法)、例文

諸行無常は、「あれほど栄えていたお店閉店になるとは、諸行無常を感じる」、「この世は諸行無常、良い状態がいつまでも続くとは考えないようにしよう」など、変化対す嘆き戒めとして用いる。どちらかと言えば喪失感悲哀感じさせる言葉であるが、良い事だではなく悪い事も続かないという意味も込められている。つまり「諸行無常と言うように、今は辛くてそのうち良くなっていくはずだ」と相手慰め前向きにさせる言葉としても使うことが出来る。

諸行無常の類語と使い分け方

諸行無常の類語には、「万物流転」や「盛者必衰」、「有為転変」などがある。まず「万物流転」とは、古代ギリシャの哲学ヘラクレイトス残した言葉で、「この世中に永遠に変わらないものなどない」という意味を持つ。諸行無常とほぼ同じ思想となるが、万物流転自然界物質存在焦点当てているのに対して、諸行無常には物質だけではなく目に見えない心も続かないといった意味が含まれている。 「盛者必衰」は、「この世無常で、勢いがあって栄えている者もいずれは衰退していく」という言葉である。世の中全て対象にして説いている諸行無常に対して盛者必衰盛者着目している点が明確な違いとなる。また「有為転変」は諸行無常と同じく仏教用語一つで、「この世全てのものが激しく変わっていくのは普通である」ことを意味する意味合いはほぼ同じであるが、ニュアンスは少し異なり、諸行無常は「生命儚さ」を表現する事が多い。

諸行無常の英語

諸行無常を英語に訳すと、「Nothing is permanent」となる。「永久的な」という意味があるpermanent」にNothingを加えて否定することで、「永久的なものなどない」と表現できる

諸行無常

読み方:しょぎょうむじょう

「諸行無常」とは、世の中のものは常に変化し続け移り変わっており生まれて消え運命繰り返すように人生儚くむなしいのであるという仏教における考え方ことを意味する表現

諸行無常の「諸行」は、因縁によってつくられるこの世一切の物や事を指し、「無常」とは、常に移り変わり同じ状態にとどまらないことを指す。わかりやすく具体例挙げると、金属錆びたり人が成長して年老いたり全ての物や事は常に周囲の環境互いに影響を受けあいながら変わった壊れたりといった変化続けていることを表現している。

諸行無常は、釈迦最期描いた仏教経典のひとつである「涅槃経」のなかで「諸行無常偈」と呼ばれる4つの句として登場している。この4つの句は、「諸行無常、是生滅法生滅滅已寂滅為楽」で、前半2句の万物変化し続け生きているものは必ず消滅するという真理加え後半2句でその生滅移り変わり超越して煩悩がなくなると、悟り境地安楽感じることができるといった生き方説いている。

諸行無常という言葉使われている有名な句のひとつが、鎌倉時代軍記物語である「平家物語」の冒頭部分である。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹花の色盛者必衰の理をあらわす」というもので、この世全てのものは常に同じ状態が続くことはなく、盛んな者も必ず衰えるといった意味を表している。平家物語自体が、平家一門栄華を極めるまでとそこから没落するまでの栄枯盛衰描いたものであり、冒頭のこの句は人の世無常はかなさという物語テーマ表現したのである

そもそも祇園精舎とは、約2600年前インドにあった釈迦説法をしていたことで知られるお寺のことを指す。祇園精舎には、無常堂という病気になった修行僧が過ごす場所があり、そこで最期迎えた修行僧がいると四隅の軒にある鐘が鳴らされていて、涅槃経のなかで修行僧が自らの命を差し出して悟り開いたように、諸行無常偈の句を響かせ修行僧苦しみから安楽導いていたとされている。「諸行無常の鐘の音」とは、このとき鳴らされる透き通った鐘の音色を指し修行僧の命が消滅したことで世の中全てのものが移り変わっている無常さを感じるという意味の句となっている。

仏教用語として世の中真理端的に表し、深い歴史をもつ「諸行無常」だが、現代では一般的に会話文脈のなかで使われることの少な言葉である。全てのものが絶え間なく変化続けていて永遠に不変のものは存在しないという意味合いから、変化によって虚しさはかなさ感じ場合にも用いられ日常生活においてはお気に入りのものが壊れてしまった時や転勤などで親しい人と離ればなれになる時、街並み変わり周囲の環境変化感じた時などが挙げられる恋人変化感じた別れ迎え虚しさ感じたりする際に、諸行無常の感情を持つ人も多い。

人の老いや家の老朽化感じた場合なども、諸行無常が当てはまるシチュエーションである。また、人の力ではどうすることもできないような変化感じた時だけでなく、自ら変化作り出し行動変えた場合にも、自分周囲影響受けて変化続けていることの現れであり諸行無常であるといえる。しかし一般的に現代においては、改まった場での挨拶や座右の銘などとして用いられ冠婚葬祭で耳にすることも多いのが特徴である。また、人の命の無常さを感じるような場合使われることも多く故人偲ぶ場面葬儀場などでも使われる

諸行無常と似た意味を持つ類語としては、「諸法無我」や「万物流転」が挙げられる諸法無我とは仏教用語のひとつで、全てのものは繋がりのなかで影響し合いそれだけ成り立つ実体はないという意味を持つ。どのような物や事も全て変化していくという意味の諸行無常と同じニュアンスだが、周囲から影響を受けながら変化しているため単体不変存在はないとしたのが諸法無我であり、不変のものはないという真理についてそれぞれ違った観点からみているという違いがある。

また、万物流転同様の意味の類語で、万物この世存在する全ての物や事であり流転絶え間なく変化し続けることを意味する。この言葉は、紀元前6世紀ごろに活躍した偉大な哲学者であるヘラクレイトスが、この世存在するものの定義について永遠に不変のものはないと唱えたことから生まれた科学技術発達していない時代物質存在無限に変化していくことに注目して生まれた言葉であり、諸行無常と意味合い似ているが、その対象大きな違いがある。諸行無常が人の心の移り変わり含めた真理表しているのに対して万物流転は主に自然哲学における物質変化真理表した言葉であるといえる

しょぎょう‐むじょう〔シヨギヤウムジヤウ〕【諸行無常】

読み方:しょぎょうむじょう

仏教根本主張である三法印の一。世の中一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ




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