雪山童子(せっせんどうじ)
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「ジャータカ」の記事における「雪山童子(せっせんどうじ)」の解説
施身聞偈(せしんもんげ)で知られる。『涅槃経』に説く。釈迦の前世である童子が無仏の世にヒマラヤで菩薩の修行をしていると、羅刹が諸行無常・是生滅法といったので、その残りの半句を聞くために腹をすかせた羅刹のために、生滅滅已・寂滅為楽の半句を聞き、木石などに書き残して投身した。投身した刹那に羅刹は帝釈天に姿を戻し、童子の身を受け止めて、未来に仏と成った時に我らを救い給えといった、という説話。
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雪山童子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 19:46 UTC 版)
これは法隆寺の玉虫厨子に描かれる「施身聞偈圖」として知られる。釈迦の前世の物語、本生譚(ほんじょうたん、ジャータカ・本尊生譚ともいう)の一つである。釈迦は過去世のいまだ仏が出世しない時にヒマラヤ(雪山)でバラモンの童子でありながら菩薩の行を修していた。ある時どこからか「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)」と聞こえた。それを羅刹が唱えているのを知り、その後を教えてくれと頼んだが羅刹は「長い間、食事せず疲れて出任せを言った」というと、「ではどうするば良いのか」と童子が聞くと、「人間の生身と生血がほしい」といった。雪山童子はこれを了解したと言い、その後の「生滅滅已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」を羅刹から聞き、後世の者のために聞いた偈を木々や岩に書き写してから、羅刹の餌食になるため高台に登りそこから飛び降りた。すると羅刹は帝釈天に姿を変え、落下する雪山童子を両手を広げて受け止めた。帝釈天は当時雪山童子だった釈迦の修行の真剣さをためし、後に仏となった暁には自身を救ってくれるかどうか確かめたという話である。 この「諸行無常」は、『平家物語』冒頭の部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」の句として殊に有名。また娑羅双樹はクシナガラで釈迦が涅槃に入る時にあった樹木であることから、涅槃の場面を取材したものであることがわかる。また、いろは歌も『涅槃経』の雪山童子から作られていると言われている。
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