基本的な教義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 14:19 UTC 版)
論理実証主義者たちは多くの問題に対して様々な観点を持っていたものの、彼らは皆科学に関心を持ち、神学や形而上学に対しては懐疑的であった。初期には、大多数の論理実証主義者が、全ての知識は経験的事実に基づいた単純な「プロトコル命題」からの論理的推論によるものであると主張していた。多くの論理実証主義者は唯物論、形而上学的自然主義、経験論の形式を支持していた。 論理実証主義は、意味の検証可能性の基準、つまり検証主義に集約される。その初期の強い定式化の一つでは、これは、命題は確証的にその真偽を決定する有限回の手続きが存在する場合にのみ「認識論的に意味がある」という教義である。カール・ヘンペルは次のように定式化した。 「ある命題が経験的意味をもつための必要十分条件は、その命題が分析的ではなく、かつ観察命題の無矛盾な有限集合から論理的に導出されることである。」 この意見の初期の結果として、多くの論理実証主義者にとって[要出典]、形而上学的、神学的、倫理的言明はこの基準に合格せず、そのため認識論的に有意味でないことになる。彼らは認識論的な有意味性と別種の、多様な有意味性(例えば、感情的な、表現的な、比喩的ななど)とを区別した。そして多くの著述家は、哲学史上の非認識論的言明は何らかの別の種類の有意味性を持つことを認めた。認識論的有意味性の実証的な特徴づけは著述家によって異なる。それは真理値を持つという特性、可能な情勢に一致すること、条件を提示すること、あるいは科学的言明が理解可能であるのと同じ意味で理解可能であることというように記述される。 論理実証主義のもう一つの特徴的な形質は、「統一科学」への傾倒である。つまり、全ての科学的陳述がなされ得る共通言語、あるいはノイラートの言い回しでは「普遍的俗語」の発展である。そういった言語を提起することの妥当さ、あるいはそういった言語を提起することの断片の妥当さは、しばしば特殊科学の言葉をもう一つの、より根源的だと推定される科学の言葉に様々に還元、もしくはより根源的だと推定される科学の言葉で様々に説明することに基づいて断言される。そういった還元はいくつかの論理的・基本的概念の集合論的操作からなることもある。そういった還元は申し立てによると分析的かもしくは「アプリオリ」に演繹的な関係からなることもある。30年の間に出版されたものの多くはこの概念を明瞭にしようとしていた。
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