くいだおれ太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:05 UTC 版)
1階正面にチンドン屋の格好をした広告宣伝用の人形があり、これは「くいだおれ太郎」と呼ばれる。1950年に登場、以降次第に知名度をあげ、1990年代よりは大阪の町を代表する観光名物として人気がある。そもそもは、飲食店は大人だけが行くところという認識が一般的であった創業当時、チェーン展開によるファミリーレストランが日本で普及する1970年代から20年以上前に子連れ家族のレジャーとしての外食の普及を予測、子供連れの家族が外食するレストランというビジョンをうちだした。その上で、家族での来店を促すためにはまず実質的な入店意思決定権者である子供の興味を引く必要があるというマーケティング戦略に基づいて制作された。 くいだおれ太郎は同店の看板であると共に、道頓堀グリコサインや通天閣と並び大阪を象徴するオブジェ(動く看板)とされている。文楽人形を意識して制作したとされ、制作費は1千万円とされている。電動で休むことなく太鼓を叩いたり鐘を鳴らす(実際は前方のスネアドラムはマレットで叩く動作をしているが、ヘッドに接触していないため演奏では無い、後方のバスドラムや鐘は人形自体ではなく、独立した演奏機構が叩いている。)・首を振る・口パクするなど一種の「宣伝ロボット」である。太郎登場以前には文楽人形そのものを直接人間が操作して、店への呼び込みを行っていた。なお、顔のモデルは喜劇役者の杉狂児と言われる。 1959年のくいだおれビル建設の際には「店頭の人形は撤去すること」が銀行側からの融資条件に含められてしまった。この当時はまだ「くいだおれの看板」としての知名度は低く、高度経済成長期に入り街が近代化して行く中で、融資元の目には「時代錯誤で街のイメージに添わない騒音を出す人形」としか映らなかった模様である。山田はどうしても太郎を外したくなかったため、同ビルは銀行融資無しで建設されたという。 1985年10月16日、阪神タイガースのセ・リーグ優勝が決まった事に興奮した阪神タイガースファンの群衆が、大阪市道頓堀に在る大阪名物くいだおれの店頭に展示されている くいだおれ太郎を担ごうと狙ったが、当時の営業部長であった岡田則一が一人で体を張って死守した(代わりにケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネル・サンダース像が橋のうえから道頓堀川に投げ込まれた)。 1989年に昭和天皇が崩御(死去)すると、太郎の衣装を通常の紅白のものから白黒のものに変更した。1990年には「バンザイ人形」と呼ばれる太郎の別バージョンが登場し、同年11月の天皇の即位の御大典を祝福した。この「バンザイ人形」は後に太郎の弟「次郎」と名づけられ、国民の慶事や大阪関係の発展に関するニュースの際に店頭に登場し、バンザイしていた。 1992年に阪神タイガース優勝の可能性がいよいよ目前まで高まると、何処となく当時の阪神のスター選手亀山努に似た太郎が、前回の優勝時に熱狂した阪神ファンらにより道頓堀に投げ込まれたカーネルサンダース像の代わりとして狙われ、道頓堀に投じられるのではという声がマスコミで報道され始めた。そのため、「わて、泳げまへんねん」と書かれたふきだし風の看板が添えられ、浮き輪に水中眼鏡という特別コスチュームに変更された(なお、1992年の阪神の順位は巨人と同率の2位に終わった)。 この頃より「くいだおれ太郎」の知名度が全国的に急速に上昇、1993年には太郎のキーホルダーが製作された。前述の通り、山田の遺言にはこの人形を大切にするようにという文言が添えられていた。 くいだおれ太郎は大阪城、通天閣、太陽の塔と並ぶ大阪を代表するシンボルの一つと見做される。創業者・山田六郎の出生地の香美町(旧・香住町、現・香美町香住区)から人形を引き取りたいとの要望も上がった。 なお、「くいしんぼう仮面」という、くいだおれ太郎をモチーフにした覆面レスラーがいる。 2008年、くいだおれの閉店と共に、くいだおれ太郎の展示は中断された。 2009年7月、元のくいだおれビルから左3軒隣に当たる「中座くいだおれビル」の店先に、1年ぶりにくいだおれ太郎が復活。オープンの記念式典には、大阪府知事・橋下徹、大阪市長・平松邦夫らも出席し、道頓堀に帰ってきた「くいだおれ太郎」を祝福した。テープカットの際は、「太郎」と「次郎」が一緒に店頭に並んだ。また、同ビルオープニングでは、くいだおれ太郎がDJネーム「DJ KTaro」として登場した。現在は中座くいだおれビルの正面で連日、くいだおれ太郎と観光客との記念写真の撮影を実施している。 アニメのキャラクター「ルパン三世」に盗んでほしい物を募集するサイトが企画したプロジェクトにおいて多数投票があり、渋谷駅のモヤイ像がルパンに“盗み出された”直後にくいだおれ太郎を盗むと“犯行予告”が行われ、“盗み出される”前日に「銭形はん タスケテ!」の吹き出しが掲げられ、2009年12月15日未明に予告どおりにくいだおれ太郎は帽子と太鼓を残して“盗み出され”、くいだおれ太郎のあった場所にはくいだおれ太郎のシルエットと黒縁メガネをかけたルパンのサインが残された。 2010年8月、日産大阪販売(日産自動車の大阪府下の販売ディーラー)のイメージキャラクターに起用された。 2011年6月、炭酸飲料「ファンタ」(日本コカ・コーラ)のCMにロックバンド「FANTA」の新メンバーという設定でくいだおれ太郎が登場した。 2011年7月1日、東日本大震災に伴う節電対策として、くいだおれ太郎の首とまゆ毛、口を動かしたり太鼓を叩いたりするための電源が止められた。くいだおれ太郎の電源が止められるのは1949年の登場以来初めてのことで、同年8月末まで実施する予定で、「暑い時間は太鼓もお休みしますねん わてもセツデンですねん」の吹き出しが掲げられた。 ACジャパンの2013年度大阪(近畿2府4県)地域キャンペーン「親子のひみつコトバ」のCMに、くいだおれ太郎が出演している。なお、同CMには「くいだおれ太郎のお母さん」役として、くいだおれの女将も登場。 2014年より、NHK大阪放送局制作の音楽番組『わが心の大阪メロディー』に出演。操演および声の出演は、2014年のみ桂吉弥、2015年以降は桂よね吉(吉弥の弟弟子)が担当。
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