福島市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 23:29 UTC 版)
歴史
沿革
前史
福島盆地は20万年前の更新世中ごろに現在まで断続的に続く南部の沈降運動により誕生した堆積盆地である。
現在の福島市域の人類の足跡としては、約3万年前に作られたと考えられている打製石器が平林遺跡から発掘されているほか、市内各地から石器が出土している。学壇群遺跡からは特に多く出土しており、打製石器の制作場所と考えられている。
福島市内で出土した縄文土器として最古のものは、南諏訪原遺跡から出土した微隆起線文土器と仙台内前遺跡の爪形文土器であり、ともに1万2,000年から1万年前のものとされている。縄文後期の宮畑遺跡からは計画的なムラの跡が確認されており、食や狩猟の様子も窺い知ることができる。
福島市内では、弥生時代の遺跡である勝口前畑遺跡や台畑遺跡から水田跡が発見されており、市内の広域において稲作が行われていたことが確認されている。勝口前畑遺跡から朝鮮半島で製造された勾玉が出土しており、広域な交流が行われていたようである。円墳「月ノ輪山1号墳」から出土した頭椎大刀から6世紀終わりごろから7世紀初頭には大和朝廷の支配下にあったと考えられており、7世紀初めごろには大和朝廷支配下に特徴的な前方後円墳が阿武隈川沿いにまとまって造られている。
古代
- 718年(養老2年)後、大和朝廷の勢力圏の拡大とともに陸奥国も北進して現在の宮城県域まで拡大したため、一時的に現在の福島県の地域は新陸奥国(ほぼ現在の宮城県)と分離して石城(いわき)国(ほぼ現在の福島県浜通)と石背(いわせ)国(ほぼ現在の福島県中通りと会津)に分割した。
- 724年(神亀元年)までに分割した新陸奥国だけでは、蝦夷防備を担うだけの経済力に不足していたため、再び石城国、石背国と合併して元の陸奥国にもどされた。
- 律令制で道国郡制が整備されたとき、当初は現在の福島市とほぼ同じ地域と伊達郡・伊達市の地域を合わせて信夫郡(しのぶぐん)だった(古代には信夫は忍とも表記された)。しかし、10世紀前半に信夫郡から、伊達郡を分割した。当時、律令制の租庸調の課税を整備する必要性から、各郡の人口をほぼ均一にするために、朝廷が郡の分割や住民の強制移動を全国的に行った。特に朝廷から見れば開拓地であった陸奥国では、こうした再編成が盛んだった。この分割では、旧信夫郡のうち、小倉郷、安岐(安芸)郷、岑越(みねこし)郷、曰理(わたり)郷は新信夫郡となり、伊達郷と靜戸(しずりべ)郷と鍬山郷の3郷が新しく伊達郡となった。
- 小倉郷とは、大森川の南で阿武隈川の西の地域 - 現在の大森、平田、松川、水原、荒井、土湯、金沢、関谷、浅川、下川崎など。
- 安岐(安芸)郷とは、松川(現在の祓川流路)と阿武隈川と大森川に囲まれた地域で、現在の福島、曾根田、腰浜(こしはま)、五十辺(いがらべ)、小山荒井、杉妻(すぎのめ)、吉井田、庭坂、庭塚、野田、水原、佐倉など。
- 岑越(みねこし)郷とは、松川(現在の祓川流路)と阿武隈川、摺上川に囲まれた地域で、現在の清水、鎌田、瀬上(せのうえ)、余目(あまるめ)、大笹生、笹谷、飯坂、中野など。
- 曰理(わたり)郷とは、阿武隈川東岸地域で、現在の渡利、小倉寺、岡島、岡部、山口、大波、下小国、上小国など。
- なお、現在の信夫山を当時は岑越山と呼び、その山麓地域である宿場(現在の福島市の縁起)の地名も岑越であった。
中世
- 1180年(治承4年) - 平氏追討のため関東に向かった源義経に、信夫郡飯坂の住人・佐藤継信、佐藤忠信の兄弟が付き従う。
- 1189年(文治5年) - 源頼朝が奥州へ侵攻。途中、信夫郡石名坂にて信夫庄住人・佐藤基治を打ち破る。(石那坂の戦い)
- 1413年(応永20年) - 伊達持宗(松犬丸)が大仏城(後の福島城)へ立て籠もり、鎌倉公方に対して反乱を起こす。
- 1542年(天文11年) - 天文の乱が起こる。大森城周辺が戦場となる。
- 1592年(文禄元年) - 蒲生氏郷の家臣木村吉清が居城を大森城から杉目城(別名大仏城)へ移し、杉目城を福島城と改称する。
- 1600年(慶長5年) - 伊達政宗と上杉氏家臣の福島城主本庄繁長等が松川で戦った(松川の戦い)。 信夫山の北を東流する現在の松川と当時の松川は流路が異なり、信夫山の南側を流れる現在の祓川が当時の松川の痕跡と言われる。したがって松川の戦いは、現在の信夫山南麓から福島市中心市街地一帯で戦われた。
近世(江戸時代)
- 1664年(寛文4年) - 信夫郡が上杉領から福島20万石の天領となる。
- 1679年(延宝7年) - 本多忠国、大和郡山藩から福島15万石で入封となり、福島藩が成立した。
- 1686年(延宝7年) - 堀田正仲、出羽山形藩から福島10万石で入封。
- 1702年(元禄15年) - 板倉重寛、信濃坂木藩から福島3万石へ入封。
- 1749年(寛延2年) - 寛延の惣百姓一揆。
- 1787年(天明7年) - 下村藩1万石が立藩される。
- 1823年(文政6年) - 下村藩が廃藩する。
- 1830年(天保元年) - 中合が現在の荒町に創業する。
- 1868年6月10日(慶応4年9月2日) - 北町の金沢屋にて長州藩士世良修蔵を含む数人が襲われ、阿武隈川で斬首される事件。奥羽越列藩同盟結成の契機となった歴史的事件である。
- 1868年10月17日(慶応4年4月20日) - 福島藩主板倉勝己が薩長軍に降伏し、福島城を渡辺清左衛門に引き渡す。
近代(戦前)
- 1869年(明治2年1月) - 相馬の中村民政局取締所管轄となり、福島藩が消滅する。
- 1871年(明治4年)
- 1876年(明治9年)8月21日 - 旧福島県、磐前県(浜通り)、若松県(会津地方)が合併し現在の福島県となる。福島県庁は福島町に置かれる。
- 1879年(明治12年)(日付不詳) - 福島町に信夫郡の郡役所が置かれる。
- 1881年(明治14年)4月25日 - 柳町の風呂屋みどり湯から出火、1785戸を焼失する福島大火(甚兵衛火事)が発生。
- 1882年(明治15年)12月1日 - 福島事件が起こる。
- 1889年(明治22年)
- 1893年(明治26年)5月19日 - 吾妻山の一切経山が噴火する。
- 1899年(明治32年)7月15日 - 全国7番目の店舗として日本銀行出張所(後に支店)が設置される(東北地方初)
- 1900年(明治33年)5月18日 - 大笹生の国有林100ヘクタールが全焼する。
- 1904年(明治37年)(日付不詳) - 現在の福島とうろう流し花火大会の元となる、福島の灯篭流しが始まる。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 市制を施行し、福島市となる[10]。県内で第2番目、全国で59番目であった。当時人口3万人。
- 1908年(明治41年)(日付不詳) - 福島市立図書館が開業。
- 1911年(明治44年)10月 - 福島停車場事件が起こる。
- 1917年(大正6年)(日付不詳) - 福島市公会堂ができる。
- 1918年(大正7年)
- 1922年(大正11年)軽便鉄道が原因で本内で大火が起こる。
- 1925年(大正14年)(日付不詳) - 弁天山に浄水場が建設される。
- 1926年(大正15年)(日付不詳) - 福島市の上水道が整備される。
- 1927年(昭和2年)福島ビルディング(福ビル)ができる。福島県初のエレベーターが設置される。
- 1929年(昭和4年)福島市立図書館が閉業し、福島県立図書館が開業する。
- 1932年(昭和7年)7月 - 阿武隈川改修工事開始(1938年完成)。
- 1936年(昭和11年)11月22日 - 福島市歌を制定。
- 1943年(昭和18年)11月10日 - 杉妻町の初代福島市役所庁舎が火災により本館4棟が焼失[11]。本町の福島ビルディングに移転。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 米軍機B-29が、渡利地域に爆弾を投下する。
現代(戦後)
- 1947年(昭和22年)8月17日 - 昭和天皇の戦後巡幸。県庁、県営住宅、競馬場などに行幸[12]。
- 1948年(昭和23年)3月7日 - 福島県警察部が解体され、福島市警察を設置。
- 1948年(昭和23年)
- 1952年(昭和27年)5月3日 - 2代目福島市役所庁舎が五老内町に新築。
- 1952年(昭和27年)10月 - 第7回国民体育大会が開催。
- 1953年(昭和28年)1月5日 - 上浜町の県教育会館が全焼。
- 1954年(昭和29年)(日付不詳) - 福島市警察が福島県警察に統合。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 飯坂町の平野小学校および民家128棟全焼。
- 1960年(昭和35年)8月4日 - 杉妻町の福島県立図書館が全焼する。
- 1965年(昭和40年)10月9日 - 松川農協の建物が全焼。
- 1970年(昭和45年)
- 1972年(昭和47年)11月 - 福島中央卸売市場が開場。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 市民憲章が制定。
- 1983年(昭和58年)11月1日 - 常陸宮家を迎え、小鳥の森開園式が行われる。
- 1984年(昭和59年)7月4日 - 福島市音楽堂が落成される。
- 1985年(昭和60年)11月24日 - 第1回東日本女子駅伝が開催される。
- 1986年(昭和61年)
- 1988年(昭和63年)11月12日 - 古関裕而記念館が落成される。
- 1990年(平成2年)7月1日 - 市が古関裕而音楽賞を制定する。
- 1993年(平成5年)12月21日 - 飯坂温泉の若喜旅館で火災発生、宿泊客5人が焼死する。
- 1994年(平成6年)5月7日 - 信夫山の地下工場跡の坑道内で転落死事故が起こる。
- 1995年(平成7年)1月28日 - 第50回国民体育大会(ふくしま国体)が、福島県あづま総合運動公園を中心に開催される。
現代(2000年代)
- 2005年(平成17年)9月25日 - 飯坂地域茂庭に摺上川ダムが完成し竣工式が行われる
- 2007年(平成19年)7月1日 - 福島市制100周年記念式典開催
- 2011年(平成23年)1月4日 - 3代目福島市役所庁舎東棟の業務を開始
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。福島地方気象台で震度5強を観測をした[13](市内最大震度6弱[14])。
- 2013年(平成25年)8月29日 - 奥土湯温泉郷の不動湯温泉白雲荘が全焼する
- 2020年(令和2年)8月31日 - 中合福島店が閉店
- 2020年(令和2年)12月20日 - 新型コロナウイルス感染症の拡大に対し、市と市医師会が緊急警報を発表した[15]
事件
- 松川の戦い(松川合戦) - 戦国時代末期の合戦。当時の福島城下を拠点にしていた上杉軍と福島侵攻を目論んだ伊達軍との戦い。
- 世良修蔵事件 - 江戸時代末期に長州藩の世良修蔵が福島城下で斬首された事件。戊辰戦争の引き金となった事件のひとつ。
- 福島大火 - 福島城下町及び近代以降の福島市街地で起きた大火災。
- 福島事件 - 福島県各地で勃発した自由民権運動。自由党員や県民が県令三島通庸の圧政に反抗した事件。
- 庭坂事件 - 当時の国鉄奥羽本線で起きた列車往来妨害事件。
- 松川事件 - 戦後最大の冤罪事件。国鉄東北本線で起きた列車往来妨害事件。国鉄三大ミステリー事件のひとつに数えられる。
画像一覧
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福島城跡(福島県庁)
注釈
出典
- ^ 第5章 福島県のうつりかわり (PDF)
- ^ 開設120周年 - 日本銀行福島支店
- ^ 福島市の紹介 魅力溢れる特産品の数々
- ^ “平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年1月閲覧。
- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年1月閲覧。
- ^ 町(字)の区域及び名称の取扱い
- ^ 住居表示実施区域一覧表
- ^ 福島市の行政区域(支所所管区域)
- ^ 推計人口の地域区分について (PDF)
- ^ 明治40年3月8日内務省告示第23号
- ^ 福島市役所本館が全焼 昭和18年11月10日 朝日新聞(夕刊)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p714 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、96頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震時に震度計で観測した各地の揺れの状況について(気象庁)
- ^ 福島市内の最大震度、福島市役所庁舎(福島市五老内町)
- ^ 「福島市が「緊急警報」発表 福島西部病院、新たに5人感染確認」 福島民友2020年12月21日付
- ^ 【時事通信】2018年1月16日付「奨学金で生活保護減額は違法=「収入認定検討せず」賠償命令-福島地裁」
- ^ “[福島線]南相馬 - 福島駅西口(県庁経由)”. 東北アクセス. 2013年6月6日閲覧。
- ^ a b c 福島市の文化財
- ^ この作品で第11回ロケーションジャパン大賞 準グランプリ(連続テレビ小説『エール』×福島県福島市)を受賞している。“「第11回ロケーションジャパン大賞」”. ORICON NEWS (2021年2月18日). 2021年2月21日閲覧。
固有名詞の分類
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