桑原武夫 桑原武夫の概要

桑原武夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/07 01:41 UTC 版)

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桑原 武夫
誕生 1904年5月10日
福井県敦賀郡敦賀町蓬莱
死没 (1988-04-10) 1988年4月10日(83歳没)
日本の旗 日本 京都府京都市左京区
職業 仏文学者評論家登山家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 京都帝国大学仏文科
文学活動 近代主義
代表作第二芸術-現代俳句について』(1946年)
『文学入門』(1950年)
『ルソー研究』(1951年)
主な受賞歴 毎日出版文化賞(1951年)
フランス共和国国家勲功騎士章(1966年)
勲二等瑞宝章(1974年)
朝日文化賞(1975年)
日本芸術院会員(1977年)
文化功労者(1979年)
文化勲章(1987年)
レジオンドヌール勲章(1987年)
勲一等瑞宝章(1988年,没後)
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来歴・人物

福井県敦賀郡敦賀町蓬莱(のち敦賀市)の出身。父は京都帝国大学教授東洋史専攻の桑原隲蔵(じつぞう)。敦賀は母親の里帰り出産の地であり、このような場合は京都生まれと称するのが通例だが、本人が敦賀に愛着を持ち出身地として記載を続けた。

京都一中三高を経て、1928年(昭和3年)、京都帝国大学文学部卒業[1]旧制大阪高校教授兼京都大学文学部講師を経て1943年(昭和18年)、東北帝国大学法文学部助教授1948年(昭和23年)、京都大学人文科学研究所教授、1959年(昭和34年)同所長、1968年(昭和43年)定年退官、名誉教授

スタンダールアランの研究により、フランスの文学や評論を広く日本に紹介した。父・隲蔵の関係もあり、早くから西田幾多郎内藤湖南ら戦前の京都学派の碩学の謦咳に直接接することが多く、戦後は同年代の吉川幸次郎貝塚茂樹などの戦後の京都学派の中心的存在として、戦後のさまざまな文化的ムーブメントに主導的な役割を担った。

フランス文学にとどまらず、多方面に亘る深い学識と行動力は各方面に及び、俳句を論じた「第二芸術」(『世界』1946年)は論議を呼んだ。また、京大人文研を根拠地として、学際的な、さまざまの分野の研究者を組織することにより、先駆的な共同研究システムを推進したことでも知られる。『フランス百科全書の研究』『ルソー研究』(1951年、毎日出版文化賞)、『宮本武蔵と日本人』など、日本の人文科学分野の研究における数々の業績を通じて、梅棹忠夫梅原猛上山春平鶴見俊輔多田道太郎ら多くの文化人の育ての親となった。また、加藤秀俊松田道雄、黒田憲治、井上清梅棹忠夫河野健二らと「日本映画を見る会」を結成し、チャンバラ映画やメロドラマを批評の対象にした[2]

時代背景もあり、『百科全書』派研究などが同時代のフランスで高い評価を受けたわけではない[要出典]。また国内でも和洋漢に及んで「浅く広い」桑原の仕事をディレッタント(好事家、学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)視する学者もあった。有名な「第二芸術論」も、アイヴァー・リチャーズの『実践批評』を下敷きにしたものであることが外山滋比古によって指摘されている[3]。このことを指していったのではないだろうが、小松左京は「ある人が『あなたのやったことはみな思いつきに過ぎない』と批判したところ桑原さんは『思いつきかも知れないが、おまえ思いつきいうてみい』と切り返した」と回想している[要出典]

岩波書店中央公論社等の出版社との連携も強く、戦後の出版ブームでは『文学入門』『日本の名著』など今日に残る新書のベストセラーを数多く出版した。生前に朝日新聞社と岩波書店からそれぞれ全集が発刊されている。

また、同期である今西錦司らとともに登山家としても知られ、1958年には、京都大学学士山岳会の隊長として、パキスタン領のチョゴリザ山への登頂を成功に導いた。登山に関する著書も多い。

1984年(昭和59年)から世界平和アピール七人委員会の委員も務めた。1981年(昭和56年)には京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)初代所長に就任、没するまで務めた[4]

1966年(昭和41年)フランス共和国国家勲功騎士章1974年(昭和49年)勲二等瑞宝章1975年(昭和50年)朝日文化賞1977年(昭和52年)日本芸術院会員。1979年(昭和54年)文化功労者顕彰。1987年(昭和62年)文化勲章レジオンドヌール勲章受章。1988年(昭和63年)春に病没し、贈従三位、贈勲一等瑞宝章

記念

1998年(平成10年)から2012年(平成24年)まで、人文科学系の優秀な書籍を対象に桑原武夫学芸賞が授与されている。

郷里敦賀市の敦賀市立図書館の館内には、桑原の胸像が建てられている。

京都市右京中央図書館には「桑原武夫コーナー」が設けられ、生前に使用していた机や椅子、直筆のノートが展示されている[5][6]

旧蔵書

蔵書のうち、特に学術的価値の高いものは生前に京都大学に寄贈され[7][6]、人文科学研究所図書室に「桑原武夫文庫」(1047冊)が設けられている[8]

没後、京都市国際交流会館開設(1989年)に合わせ、1988年に蔵書約1万冊(古典名著の全集[7][5]、フランス語の哲学書籍など[5]を含む)が京都市に寄贈された[5][6]。国際交流会館には生前の書斎を再現した記念室が設けられ、旧蔵書は一般公開されていた[7][6]。2008年、右京中央図書館の開設に伴い、桑原の記念室は同館に移されることとなったが[5][7]、旧蔵書は京都市図書館全体の蔵書との重複が多いとして正式な登録がなされず[7]、また保管スペースがないとして別の図書館の倉庫に移された上[5][7][6]、2015年に廃棄処分された(遺族にも相談はなかった)[5][7][6]。2017年にこのことが判明、廃棄を承認した担当部長の処分とともに公表された[5][7][6]


  1. ^ 京都帝国大学一覧 昭和4年』 京都帝国大学、1929年、689頁。 
  2. ^ 加藤秀敏『わが師・わが友――ある同時代史』(中央公論社 1982年)
  3. ^ 外山滋比古著作集 6 『短詩型の文学』
  4. ^ 公益財団法人 京都市生涯学習振興財団の沿革”. 京都市生涯学習振興財団. 2017年4月29日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h “桑原武夫氏の蔵書1万冊廃棄 京都の図書館、市職員処分”. 京都新聞. (2017年4月27日). http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20170427000086 2017年4月29日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g “桑原武夫さん蔵書1万冊を廃棄 寄贈された京都市教委”. 朝日新聞. (2017年4月28日). http://www.asahi.com/articles/ASK4W4VPHK4WPLZB00R.html 2017年4月29日閲覧。 
  7. ^ a b c d e f g h “桑原武夫蔵書 遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪”. 毎日新聞. (2017年4月27日). https://mainichi.jp/articles/20170427/k00/00e/040/246000c 2017年4月29日閲覧。 
  8. ^ 主要コレクション”. 京都大学図書館機構 (2017年4月28日). 2017年4月29日閲覧。


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