経蔵
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経蔵(きょうぞう、巴: Sutta pitaka(スッタ・ピタカ)、梵: Sutra pitaka(スートラ・ピタカ))とは、仏教の聖典(仏典・三蔵)の一部であり、釈迦の教説である経(巴: Sutta(スッタ)、梵: Sutra(スートラ))をまとめたもの。
歴史
初期仏教
釈迦の死後、僧伽(仏教僧団)では仏教の成り立ちや戒律、その教説などを保全すべく、500人の阿羅漢(五百羅漢)によって結集(集会)が開かれ、その内容が文書化され、三蔵としてまとめられた。その内の1つがこの経蔵である。
上座部仏教(南伝仏教)
部派仏教時代の形式を留めている上座部仏教(南伝仏教)の聖典である『パーリ仏典』は、現在でも「三蔵」の形式が保全されており、経蔵も「スッタ・ピタカ」(巴: Sutta pitaka)として保存されている。
これは、長部、中部、相応部、増支部、小部の5部から成り、小部を除く4部は、漢訳経典の『阿含経』に相当する。
中国仏教(北伝仏教)
中国仏教(北伝仏教)においては、大乗仏教経典・偽経の追加や、段階的な仏典の輸入・翻訳が繰り返されたため、元々の「三蔵」や「経蔵」の枠組み自体が壊れてしまった。
漢訳経典は、後に宋代の頃から一切経・大蔵経として総集・再編されていくことになるが、それらは般若経・華厳経など主要な大乗仏教経典を中心に、雑多にまとめられており、律が後景に退き、その大部分が大乗仏教経典・偽経も含む「経」で占められるため、「三蔵」や「経蔵」の概念・呼称を適用しづらいものになってしまった。
チベット仏教
中国よりも更に遅く、大乗仏教・密教化した仏教を段階的に受容したチベット仏教における『チベット大蔵経』も、大乗仏教経典や密教タントラが入り乱れて元々の「三蔵」の枠組みが壊れてしまっているため、中国仏教の『漢訳大蔵経』と事情は大差が無い。
ただし、アティーシャ以来、顕密総合が志向され、「律蔵」「経蔵」に相当する「カンギュル」、「論蔵」に相当する「テンギュル」の組み合わせで『チベット大蔵経』が構成されているため、『漢訳大蔵経』よりは、「三蔵」との対応関係が維持されている。
出典
関連項目
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