R&B、ソウル
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「アメリカ合衆国の音楽」の記事における「R&B、ソウル」の解説
詳細は「リズム・アンド・ブルース」、「ソウルミュージック」、および「ファンク」を参照 R&B(リズム・アンド・ブルース)は1930・40年代に生まれた音楽スタイルである。初期のR&Bは「ブルースシンガーの後ろでビシビシ鳴っており、ジャンジャンかき鳴らされる色々な電子楽器や、激しいリズムセクションを超える大声で叫ばないと歌手の声は聞こえない」と評されるリズムユニットで構成されていた。レコード会社は、R&Bの大胆なリズムや示唆的な歌詞は一般聴衆(特に中流階級の白人)には受けないと考えたため、R&Bは大規模なレコーディングやプロモーションの対象にならなかった。金管セクションを減らしてリズム楽器を目立たせたバンド構成を使った初期R&Bの音楽スタイルを考案したのは、ルイ・ジョーダンなどのバンドリーダーである。ジョーダンは1940年代終わりまでにR&Bチャートで多くのヒットを出し、ワイノニー・ハリス(en:Wynonie Harris)やロイ・ブラウンといった同時代のアーティストに道を開いた。しかし、有名になったR&Bのかなりの部分は、白人によってカバーされた曲だった。それらの曲は、ジョーダンの時代のにぎやかなスタイルではなく、パット・ブーンなどの白人ミュージシャンの、より白人聴衆に受け入れられやすいスタイルであった。とはいえ1950年代の後半には、ポップ・チャートでも黒人音楽がチャート・インし、チャック・ベリーなどのアーティストが白人リスナーの間でも、名声を得るようになった。 ソウルミュージック(端的にソウルとも)は、1950年代のアメリカで生まれた、R&Bとゴスペルを組み合わせたスタイルである。ゴスペルの手法を用いながら、非宗教的なテーマを扱っていることがソウルの特徴である。1950年代のレイ・チャールズ、サム・クック、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンらのレコードがソウルの始まりだと一般的に考えている。レイ・チャールズの1962年のレコードモダン・サウンズ・イン・カントリー&ウエスタン・ミュージックではソウルとカントリーの融合(ディープ・ソウル)が取り上げられており、人種の壁を越えて受け入れられた。クックの代表曲のひとつア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(1964年)はソウルの古典として1960年代の公民権運動の賛歌ともなった。1960年代初めから中頃にかけて、デトロイトのモータウン・レコード社はソウルのレコードをリリースして大成功を収めた。これらのレコードはポピュラー音楽会に大きな影響を与え、白人のリスナーにも受け入れやすくなったため、黒人アーティストと白人リスナーの交流もより容易になった。 純粋なソウル・ミュージックを広めたのは、オーティス・レディングをはじめとする、南部メンフィスのスタックス・レコード社のアーティストである。だが1960年代終わりごろ、女性ソウルスターとして最も人気が高かったのはアトランティック・レコード社のアーティストアレサ・フランクリンだった。またこの頃には、ソウルはサイケデリック・ロックなどの影響を受けていくつかのジャンルに分かれていた。1960年代の社会的・政治的動乱から刺激を受けたマーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドなどのアーティストが激しい社会的主張をこめたアルバムをリリースしていた一方で、ダンス指向の音楽へと変化していく派生ジャンルもあり、これはジェームス・ブラウンらによってファンクへと発展した。マーヴィン・ゲイは、以前は政治的・社会的な色彩の強いテーマの歌詞を扱うことが多かったが、ファンクや、セクシャルな要素や恋愛要素のテーマを扱う音楽を広めるのに一役買った。「レッツ・ゲット・イット・オン」(1973年)、「アイ・ウォント・ユー」(1976年)など、彼の1970年代のレコードはクワイエット・ストームの音楽とフォーマットの発展の一因となった。 1970年代、ギル・スコット=ヘロンやラスト・ポエッツなどのアーティストたちは、詩・ジャズファンク・ソウルが融合したスポークンワード・ソウルのスタイルを作り上げた。ここで扱ったのは、黒人の視点から見た政治的・社会的な主張であった。ギル・スコット=ヘロンの「 ザ・リヴォリューション・ウィル・ノット・ビー・テレヴァイズド」(1971)や「ウィンター・イン・アメリカ」(1974)はその後のヒップホップアーティストに大きな影響を与え、また一方でブライアン・ジャクソン(en:Brian Jackson)と組んで生み出したユニークな音楽は、ネオ・ソウルのアーティストに影響を与えた 。 1970年代、フィラデルフィア・ソウルグループのオージェイズ(en:The O'Jays)やブルー・アイド・ソウルグループのダリル・ホール&ジョン・オーツといった、洗練されたグループが成功を収めた。1970年代の終わり頃には、ソウルを含め多くの音楽ジャンルがディスコ文化の影響を受けていた。1970年代終わりから1980年代初めにかけてのエレクトロやテクノの影響を受けたソウルは激しさを失い、より洗練された曲が作られるようになった。90年代ごろには、若いミュージシャンの「R&B」と、ベテランのソウルが分離されることとなった。若者向きのジャンルは、現代R&B(en:Contemporary R&B)として昔のR&Bと区別して語られる場合が多い。 1980年代には、ファンクの影響を受けたプリンス (ミュージシャン)や、ポップ・スターマイケル・ジャクソン、ティナ・ターナーやホイットニー・ヒューストンなどの女性ヴォーカリスト、などがヒットを連発した。1980年代後半には、ニュージャックスウィングやグラウンド・ビート、さらに90年代にはヒップホップソウル(en:hip hop soul)やネオ・ソウルなどの一連のサブジャンルにおいて、現代R&Bはヒップホップの影響を受けるようになった。ニュージャックスウィングは、通常ラップをかけた韻文とドラムマシンを特徴とする、声楽のスタイルである。ヒップホップソウルやネオ・ソウルが生まれたのはその後の1990年代であった。メアリー・J. ブライジやR・ケリーの作品に代表されるように、ヒップホップソウルは現代R&Bとヒップホップのビート感の混交であり、さらに作品によってはギャングスタ・ラップのイメージやテーマが含まれる場合もある。ネオ・ソウルは1960・70年代のソウルのヴォーカルにヒップホップの影響が加わったスタイルである。ヒップホップソウルのほうが概して主流であったが、ネオ・ソウルはディアンジェロ、エリカ・バドゥ、アリシア・キーズ、ローリン・ヒルなどの作品を通して幾分メジャーになっていった。ディアンジェロのアルバム「ヴー・ドゥー」(en:Voodoo)は、複数の音楽ライターによってネオ・ソウルの基礎を作った傑作として評価されている。
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「r&b ソウル」の例文・使い方・用例・文例
- われわれはソウルに1週間滞在する予定です
- 成田発、ソウル経由シアトル行き
- 豚の小腸は典型的なソウルフード(アフリカ系米国人の伝統料理)である。
- スターバックスのカフェラテ・トールサイズの量や味は世界中で同じだが、価格は違っている。たとえば、シアトルでは2.50ドルだがソウルでは3.05ドルだ。そこで、ラテ指数が世界の様々な場所の生活費の比較に有効なツールとなる。
- ジンギスカンは北海道のソウルフード。
- それをブルースとソウルと結合している気取らない種類のジャズ
- 日本が朝鮮占領時代に用いたソウルの呼称
- ソウルという,大韓民国の首都
- モータウンサウンドという,洗練されたソウルミュージック
- ソウルミュージックという音楽
- 4月16日,韓国のソウルで行われたサッカーの国際親善試合で日本代表チームは劇的な決勝点をあげた。
- 試合は,ソウルワールドカップ競技場で行われた。
- 1988年ソウルオリンピックでは,体操で団体と個人床の2つの銅メダルを獲得。
- チームの中の最年少メンバーとして,18歳でソウルオリンピックに参加したときは,あまりプレッシャーを感じなかった。
- ソウルで得たよりも良いチーム成績への人々の期待にこたえる,という相当なプレッシャーを感じた。
- 卓球は1988年のソウル五輪で初めて五輪種目とされた。
- 計算によって,星座は北緯37.4度,現在の韓国のソウルあたりで描かれたと判断された。
- 警察は,他のいくつかの組織が,ソウルを含む国内の他の地域でも,同様の犯行を行っていたことを突き止めた。
- 映画や文化のための複合施設型の村が,ソウル近くのキョンギド(京畿道)にあるコヤン(高陽)市に作られる。
- 4月15日,ソウルのチャンギョングン(昌慶宮)でお祭りが行われた。
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