ジョーダンの時代
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1984年にシカゴ・ブルズはドラフトで全体で3番目にマイケル・ジョーダンを選び、チームの運命を大きく変えることになる。それ以前はディフェンスを中心とした有力なチームではあったものの優勝には近づくことはなかった。平均30点以上を毎シーズン記録したジョーダンを擁していたが、チームとしての力に欠けており、1980年代に優勝をつかむことはなかった。しかし、1987年にはホーレス・グラントとスコッティ・ピッペンを揃え、1990年代のチームを支える選手が着々と揃っていった。トライアングル・オフェンスを採用することになるフィル・ジャクソンを1989年にコーチに迎えている。また、このシーズンよりプレイオフにおいて黒いシューズを着用するという伝統が始まる。これにあやかって、「黒いシューズ」は他チームも真似をするようになった。 1990年-1991年のシーズン、ブルズはマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で下し、初のリーグ制覇を成し遂げる。翌シーズンは、クライド・ドレクスラー率いるポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で下し、1992-1993シーズンはチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズを4勝2敗で下し、スリーピート(3連覇)を果たした。3シーズン連続でリーグ制覇を成し遂げたのは、1960年代のボストン・セルティックス以来であった。 しかし、父親をオフシーズン中に殺害されたジョーダンは引退し、スコッティ・ピッペンやクロアチア出身のルーキー、トニー・クーコッチに率いられたチームは、シーズン55勝の記録を残したものの、3勝4敗でニューヨーク・ニックスに敗れ、記録は途切れることになる。 1995年3月17日、マイケル・ジョーダンは引退してメジャーリーガーを目指していたが、チームに復帰する。しかしオーランド・マジックに敗れ、1994年-1995年のシーズンは優勝を逃す。その後、拡張ドラフトにより、B.J.アームストロングを失うもののトレードを通じて、デニス・ロッドマンがチームに加わり、ブルズは再びリーグ制覇に向かう。 1995-1996シーズン、72勝10敗でレギュラーシーズンを終えると、シアトル・スーパーソニックスを破り、4度目のリーグ制覇を成し遂げる。 1996-1997シーズンと1997-1998シーズンもジョン・ストックトンとカール・マローン率いるユタ・ジャズと対戦するが、いずれも制し再び3年連続でリーグを制覇する。このシリーズでは、試合終了間際にジョーダンからフリーのスティーブ・カーにパスがわたり決勝シュートが決まり優勝を決定づけたプレイがあるが、前回の3連覇の際のジョン・パクソンの3ポイントを多くの者に思い出させた。
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