B-29損失数の各種統計
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「B-29 (航空機)」の記事における「B-29損失数の各種統計」の解説
B-29の損失数は資料によって異なり、日本の戦後の統計では損失合計714機(延べ数での出撃した全数は33,000機)で、延べ出撃数に対する損失率は2.2%程度という読売の資料がある。 アメリカ軍による第二次世界大戦でのB-29損失の統計も資料によって異なるので列挙する。 米国戦略爆撃調査団(USSBS)による統計 日本本土を爆撃したB-29延べ出撃機数33,401機 作戦中の総損失機数485機 延べ出撃機数に対する損失率1.45% 作戦中の破損機数2,707機 投下爆弾147,576トン 搭乗員戦死3,044名 B-29所属部隊の戦績と損失(アメリカ空軍 第9爆撃航空団統計) 第20空軍1944年6月5日以降作戦数380 戦闘出撃機数31,387 その他出撃数1,617 出撃機数合計33,004 投下爆弾・機雷トン171,060 戦闘損失数494 アメリカ本土での訓練損失260 損失合計754 搭乗員戦死576 搭乗員行方不明2,406 搭乗員戦傷433 搭乗員死傷者合計3,415 第20空軍の航空機種類、損失原因別の戦闘任務での損失(アメリカ陸軍航空軍統計管理室による統計-Table 165) 損失機数合計敵戦闘機による損失対空火器による損失戦闘機と対空火器共同その他・損失原因未確認を含む第20爆撃機集団80 21 7 51 第21爆撃機集団334 53 47 19 216 合計414 74 54 19 267 アメリカ陸軍航空軍統計管理室統計をもって日本軍に撃墜されたB-29の総数は147機とされることがある。この統計の損失原因のその他(other causes)については故障や事故を含むが、もっとも多いのは未知(ないし未確認)の原因(lost to unknown reasonsもしくはcauses)であり、その中にも相当数の日本軍による撃墜数も含まれている。例えば、東京大空襲と呼ばれる任務番号40号、1945年3月9日(爆撃は翌10日未明まで)の東京市街地に対する夜間無差別爆撃では、B-29が325機出撃し損失が14機、内訳は日本軍の対空火器での撃墜2機、事故1機、その他4機(3機が燃料切れ墜落、1機不明)、7機が原因未確認とされている。原因未確認の7機はすべて連絡のないまま行方不明となった機であるが、この日に出撃して無事帰還したB-29搭乗員からは、東京上空で7機のB-29がおそらく撃墜されたという報告があり、さらに行方不明の1機については銚子岬の上空で4本の探照灯に捉えられて、大小の対空火器の集中砲火で撃墜されたという詳細な報告があったのにも関わらず、原因未確認の損失とされ、この日に日本軍により撃墜されたと判定されたのは、東京上空で対空火器で撃墜された1機と、対空火器による損傷で不時着水して搭乗員全員が救助された1機の合計2機のみに止まった。当時のアメリカ軍は日本軍の攻撃(Enemy Action)による損失と認定するにはよっぽどの確証が必要で、それ以外は未知(ないし未確認)の原因(lost to unknown reasonsもしくはcauses)とする慣習であったので、原因未確認の損失が増加する傾向にあった。 B-29が最大の損失を被った任務番号第183号、1945年5月25日(爆撃は翌26日の未明まで)の東京市街地に対する夜間無差別爆撃では、B-29が498機出撃に対して26機を失っているが、日本軍に撃墜されたと記録されているのは対空火器で撃墜された3機のみで、対空砲と戦闘機の攻撃で大破し硫黄島近辺で放棄された2機と原因未確認で損失した20機は、アメリカ軍の記録上は日本軍の攻撃(Enemy Action)による損失には含まれていない。しかし、日本軍側によれば、第302海軍航空隊だけで、月光7機、彗星(斜銃装備の夜間戦闘機型)4機、雷電5機、零戦5機が迎撃して、B-29の16機撃墜を報告し、陸軍の高射砲も5月25日の1日だけで、八八式7cm野戦高射砲7,316発、九九式8cm高射砲6,119発、三式12cm高射砲1,041発、合計14,476発の高射砲弾を消費するなど激しい対空砲火を浴びせて、海軍の戦果も合わせてB-29合計47機撃墜を記録しており、日本軍側の戦果記録は過大とは言え、未知の原因未確認の損失の中に相当数の日本軍の撃墜によるものが含まれているものと推定される。この日に出撃した航空機関士チェスター・マーシャルによれば、今までの25回の出撃の中で対空砲火がもっとも激しく探照灯との連携も巧みであったとのことで、帰還後に26機が撃墜されたと聞かされたB-29の搭乗員らが恐れをなしたと著書に記述している。 原因未確認の損失が確実に日本軍側の攻撃による撃墜であったケースとしては、任務番号第43号、1945年3月16日の神戸市街地に対する夜間無差別爆撃(いわゆる神戸大空襲)では、B-29が331機出撃して3機が失われたがすべてが未知の原因とされている。しかし、このうちの1機ボブ・フィッツジェラルド少佐が機長のB-29「Z-8」号は、神戸の北方3kmで緒方醇一大尉の三式戦闘機の体当たりにより撃墜されている。体当たりの様子は多くの国民に目撃され、体当たりされた「Z-8」号はバラバラに砕けて落下し、そのうち山中で発見された胴体部分に、緒方の三式戦の主脚と発動機の冷却器が食い込んでいるのが発見され、別の部分の残骸から緒方の飛行長靴が見つかり、その後遺体も機体付近で発見されたため、B-29撃墜は緒方の功績とされて2階級特進で中佐となっている。「Z-8」号の墜落した場所には、戦後に緒方の戦友らが、緒方と戦死した11名の「Z-8」号搭乗員の名前を刻銘した慰霊碑を建立し、2015年には緒方の遺族と、「Z-8」号搭乗員のひとりロバート・クックソン2等軍曹の遺族が神戸で対面している。 アメリカ陸軍航空軍統計管理室の上記統計によれば、1945年3月は日本軍の戦闘機により(確実に)撃墜されたB-29は1機もなかったとされているが、緒方が体当たりで撃墜した「Z-8」号に加えて、任務番号第42号、1945年3月13日の大阪市街地への夜間無差別爆撃(いわゆる第1回大阪大空襲)で、B-29が295機出撃して2機が失われているが、そのうち、原因未確認の損失とされている機体番号42-24754(操縦士ジョン・k・エリントン少尉、機体愛称はなし)も、飛行第56戦隊鷲見忠夫曹長の三式戦闘機に撃墜されている。この戦闘の一部始終を見ていた第11飛行師団師団長北島熊男中将の推薦で、鷲見は第15方面軍司令部より個人感状が贈られている。42-24754の残骸は、大阪の下町堺筋に落下し、写真撮影され、残骸の一部は戦後にアメリカ軍に回収調査されて、Ki-61(三式戦のこと)による撃墜と認定されている アメリカ陸軍航空軍の統計によれば、B-29の太平洋戦争における延べ出撃数に対する損失率(Combat LossesとBomb Sorties比較)は1.32%程度とされているが、東京に対する空襲においては損失率が跳ね上がり3.3%となった。しかし、ドイツの首都ベルリン空襲のアメリカ軍とイギリス軍爆撃機の損失率は6.6%と東京空襲の2倍の損失率であった。B-29の太平洋戦争における戦闘行動中の損失485機は全生産機中(第二次世界大戦後の生産分も含む)の12%に上った。 アメリカ軍爆撃機の機種別損失率(アメリカ陸軍航空軍統計管理室による統計) 爆撃機種総出撃機数投下爆弾トン数戦闘損失機数損失比率B-2563,177 31,856 380 0.60% B-26129,943 169,382 911 0.50% B-17291,508 640,036 4,688 1.61% B-24226,775 452,508 3,626 1.60% B-2931,387 159,862 414 1.32% 上表の通りアメリカ軍の他の爆撃機と比較してB-29の損失率は決して低くはなかった。B-17は18万ドル、B-24は21万ドル、B-25が12万ドルであったのに対し、B-29の調達価格は63万ドルと、高価な機体であった。このため損失数の増加に業を煮やした陸軍航空軍司令官アーノルドは、「私はB-29がいくらか墜落することは仕方ないと思っている。しかし空襲のたびに3機か4機失われている。この調子で損失が続けば、その数は極めて大きなものとなるだろう。B-29を戦闘機や中型爆撃機やB-17フライング・フォートレスと同じようにあつかってはならない。B-29は軍艦と同じように考えるべきである。原因を完全に分析もせずに軍艦をいっぺんに3隻、4隻と損失するわけにはいかない。」という手紙を出し司令官のハンセルを叱咤している。
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