B-29のノーズアート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 02:53 UTC 版)
「B-29 (航空機)」の記事における「B-29のノーズアート」の解説
アメリカ軍では航空機の機体前部にノーズアートを描く風習が他の国の空軍より盛んであった。第二次世界大戦の末期には高い技術水準に達していたが、B-29の長くて滑らかな機首はノーズアートを描くには格好の環境であり、さまざまなノーズアートが描かれた。軍が公式に許可していたわけではないが、絵がまともであれば爆撃兵団の上層部が認め、アメリカ軍は黙認していたというのが実態である。ノーズアートを描くのは看板職人をしていた兵士であり、公務の傍ら任務時間外に腕をふるった。報酬は60ドルから100ドルぐらいで、その報酬はクルーらが出し合った。腕のいい看板職人の兵士には依頼が殺到し、1飛行隊全機の依頼が舞い込み、2時間ぐらいの作業で1,000ドル稼ぐことができたという。特に好まれたのが“なまめかしい”女性のノーズアートであり、当初は爆撃兵団の上層部も最低限の品性を備えていれば容認していたが、次第に過激な表現となってきたため、終戦の直前には従軍牧師が道徳的に問題があると騒ぎだして、女性のノーズアートはシンプルで品のいいシンボルや無機質な文字のノーズアートに差し替えられた。ノーズアートは主に機体の左側に書かれるため、B-29の公式な報道写真などは右側から撮影されることが多かった。第二次世界大戦が終わっても、依然として機体左側には無味乾燥なノーズアートが多かったが、機体の右側にもノーズアートが描かれるようになり、また、なまめかしい女性のノーズアートも復活し、特に朝鮮戦争開戦後に盛んとなった。この頃のノーズアートを主に描いたのはアメリカ軍の看板職人の兵士ではなく、B-29航空団の基地があった嘉手納飛行場や横田基地周辺の本職の日本人看板屋であった。 第468爆撃団 第794飛行隊所属「Gallopin' Goose」号のノーズアート、まだ初期のものでシンプル。本機は1944年12月7日満州奉天の爆撃任務で日本軍二式戦闘機「鍾馗」によって撃墜された 第497爆撃団 第869飛行隊所属「Skyscrapper」号のノーズアート。本機は1944年11月27日サイパンへの日本陸海軍機空襲にて地上で撃破された 第497爆撃団 第73飛行隊所属「Waddy's Wagon」号と、そのノーズアートを再現する乗員達。本機は1945年1月9日の任務で損失 第468爆撃団 第793飛行隊所属「Dragon Lady」号のノーズアート。ノーズギアの格納部に「100フィート以内は禁煙」の文字も見える 第498爆撃団 第874飛行隊所属「Fay」号のノーズアート、本機は1945年3月25日名古屋にて撃墜された 第500爆撃団 第883飛行隊所属「Supine Sue」号のノーズアート、本機は映画「火垂るの墓」に登場している 第468爆撃団 第792飛行隊所属「Lady Be Good」号のノーズアート 第497爆撃団 第869飛行隊所属「scrapper」号のノーズアート、B-29のノーズアートしては珍しい「シャークマウス」 第497爆撃団 第870飛行隊所属「Shady Lady」号のノーズアート 長崎に原爆を投下した「ボックスカー」のノーズアート。これは原爆投下後に描かれており、原爆投下任務時にはノーズアートはなかった 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」のノーズアート。中央でパイプをくわえているのが指揮官のポール・ティベッツ 第二次世界大戦後(1950年)機体の右側に描かれた「To Each His Own」号のノーズアート
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