允恭天皇
(雄朝津間稚子宿禰天皇 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 04:08 UTC 版)
允恭天皇(いんぎょうてんのう、仁徳天皇64年? - 允恭天皇42年1月14日)は、日本の第19代天皇(在位:允恭天皇元年12月 - 同42年1月14日)。『日本書紀』での名は雄朝津間稚子宿禰天皇。乱れた氏姓の改革を行ったと伝えられる。
注釈
- ^ 「句驪無道,圖欲見吞,掠抄邊隸,虔劉不已,每致稽滯,以失良風。雖曰進路,或通或不。臣亡考濟實忿寇讎,壅塞天路,控弦百萬,義聲感激,方欲大舉,奄喪父兄,使垂成之功,不獲一簣。居在諒闇,不動兵甲,是以偃息未捷。」
出典
- ^ 『古事記』では藤原琴節郎女(ふじわらのことふしのいらつめ)と同一人物とされる。
- ^ 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
- ^ 外池昇『事典陵墓参考地 : もうひとつの天皇陵』吉川弘文館、2005年、49-52頁。ISBN 4642013458。 NCID BA72468588。国立国会図書館書誌ID:000007815714 。
- ^ 前之園亮一『王賜銘鉄剣と五世紀の日本』(岩田書院、2013年)
- ^ 新古代史の会 2022, p. 39.
雄朝津間稚子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねの すめらみこと)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 08:25 UTC 版)
「軽王子と衣通姫」の記事における「雄朝津間稚子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねの すめらみこと)」の解説
允恭天皇。髭が長い。皇后の妹・衣通姫を側室にする。御子の軽王子が衣通姫と密通したのを薄々気づくが、黙認して恕す。
※この「雄朝津間稚子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねの すめらみこと)」の解説は、「軽王子と衣通姫」の解説の一部です。
「雄朝津間稚子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねの すめらみこと)」を含む「軽王子と衣通姫」の記事については、「軽王子と衣通姫」の概要を参照ください。
- 雄朝津間稚子宿禰天皇のページへのリンク