伝承の時代
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初代天皇の神武天皇(神日本磐余彦天皇)のあとは、 第2代:綏靖天皇(神渟名川耳天皇) 第3代:安寧天皇(磯城津彦玉手看天皇) 第4代:懿徳天皇(大日本彦耜友天皇) 第5代:孝昭天皇(観松彦香殖稲天皇) 第6代:孝安天皇(日本足彦国押人天皇) 第7代:孝霊天皇(大日本根子彦太瓊天皇) 第8代:孝元天皇(大日本根子彦国牽天皇) 第9代:開化天皇(稚日本根子彦大日日天皇) 以上の8代は記紀において事績の記載がほとんどないため、欠史八代と称されることがある。 第10代天皇の崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)は「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とも称され、この別名は神武天皇の別名と同訓である。崇神天皇は三輪氏に大物主大神を祀らせ、四道将軍を派遣したとされる。この将軍派遣記事が初の本格的な日本統一運動であり、この時期に各地で古墳が築造され始める。 第11代天皇は垂仁天皇(活目入彦五十狭茅天皇)である。相撲と埴輪の起原は垂仁天皇の時代にあるとされる。 第12代天皇は景行天皇(大足彦忍代別天皇)である。景行天皇は九州の征伐に赴き、皇子日本武尊は東国へ遠征を行ったとされる。 第13代天皇は成務天皇(稚足彦天皇)である。父と日本武尊の遠征・平定を受け、この時代に東北から九州までの諸国に国造と県主を設置した。これは4世紀代後半までに東北から九州南部にかけて、古墳(前方後円墳、前方後方墳)が築造されたことに符合する。 第14代天皇は仲哀天皇(足仲彦天皇)である。その皇后の神功皇后は仲哀天皇崩御後に熊襲征伐や三韓征伐を行い、その後即位せずに政務をとったとされる。 第15代天皇は応神天皇(誉田天皇)である。 第16代天皇の仁徳天皇(大鷦鷯天皇)は「聖帝」と称され、河内平野の開拓にいそしみ、人家の竈から炊煙が立ち上がらないことを知って租税を免除するなど仁政を施した逸話で知られる。 第17代天皇は履中天皇(大兄去来穂別天皇)である。 第18代天皇は反正天皇(瑞歯別天皇)である。 第19代天皇は允恭天皇(雄朝津間稚子宿禰天皇)である。この時代に中央豪族や各地の豪族に対して姓を与えたとされる。 第20代天皇は安康天皇(穴穂天皇)である。 第21代天皇の雄略天皇(大泊瀬幼武天皇)は倭の五王の最後として『宋書』倭国伝に記された「倭王武」であるとされる。また、埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣(金錯銘鉄剣)の辛亥年(471年)の紀年銘、および熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀銘には雄略天皇の名と一致する人名がみられる。 以後、 第22代:清寧天皇(白髪武広国押稚日本根子天皇) 第23代:顕宗天皇(弘計天皇) 第24代:仁賢天皇(億計天皇) 第25代:武烈天皇(小泊瀬稚鷦鷯天皇) とつづく。
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