西院伽藍とは? わかりやすく解説

西院伽藍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:21 UTC 版)

法隆寺」の記事における「西院伽藍」の解説

西院伽藍は南大門入って正面のやや小高くなったところに位置する向かって右金堂、左に五重塔配し、これらを平面「凸」字形廻廊が囲む。廻廊の南正面中門ちゅうもん)を開き中門左右から伸びた廻廊北側に建つ大講堂左右に接して終わっている。廻廊途中、「凸」字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵がある。以上の伽藍を西院伽藍と呼んでいる。金堂五重塔中門廻廊聖徳太子在世時のものではなく7世紀後半頃の再建であるが、世界最古木造建造物群であることは間違いない金堂五重塔中門みられる建築様式は、組物(軒の出を支え建築部材)に雲斗雲肘木呼ばれる曲線多用した部材用いること、建物四隅組物斜め45度方向)にのみ出ること、卍くずしの高欄手すり)、それを支える「人」字形の束(つか)などが特色である。これらは法隆寺金堂五重塔中門法起寺三重塔法輪寺三重塔焼失)のみにみられる様式で、飛鳥様式とされる金堂国宝) - 天智天皇9年670年)の火災後再建解説既述五重塔国宝) - 天智天皇9年670年)の火災後再建解説既述大講堂国宝) - 桁行九間、梁間四間入母屋造本瓦葺き平安時代延長3年925年)に焼失後の、正暦元年990年)に再建薬師三尊像平安時代国宝)と四天王像重要文化財)を安置する経蔵国宝) - 奈良時代造(二階建建築観勒僧正坐像重要文化財)を安置するが、内部非公開鐘楼国宝) - 経蔵対称位置に建つが、建立時代平安時代廻廊国宝) - 金堂などとほぼ同時期の建立廊下であるとともに聖域区切る障壁でもある。ただし、大講堂寄り折れ曲がり部分より北は平安時代建立である。当初廻廊大講堂前で閉じており、大講堂廻廊の外にあった中門国宝) - 入母屋造二重門正面四間二戸側面三間日本の寺院の門は正面柱間奇数(3間、5間、7間等)になるのが普通だが、この門は正面柱間が4間で、真中が立つ点が特異である。門内の左右に塑造金剛力士立像安置する日本最古8世紀初)の仁王像として貴重なのであるが、風雨さらされる場所に安置されているため補修甚だしく吽形うんぎょう)像の体部木造の後補に代わっている。門は現在、出入り口としては使用されず、金堂等の拝観者は廻廊西南隅から入る。 上御堂重要文化財) - 大講堂真裏(北)に建つ。鎌倉時代建立釈迦三尊像国宝)、四天王立像重要文化財)を安置通常非公開だが、毎年11月1日 - 3日限り堂内公開総社 西円堂国宝) - 西院伽藍の西北の丘の上に建つ八角円堂伝承県犬養三千代建立とするが、現存のものは鎌倉時代建立堂内空間いっぱい坐す本尊薬師如来坐像国宝)は、奈良時代乾漆像本尊台座周囲には小ぶり十二神将立像重要文化財)、千手観音立像重要文化財)を安置する大和北部八十八ヶ所霊場51札所鐘楼 薬師坊庫裏重要文化財) - 西円堂背後に建つ。 地蔵堂重要文化財) - 西円堂東側石段下に建つ。地蔵菩薩半跏像(重要文化財)を安置。 三経院(国宝) - 西院伽藍の西側聖霊院と対称的な位置に建つ。鎌倉時代建立阿弥陀如来坐像重要文化財持国天多聞天立像重要文化財)を安置西室国宝) - 三経院の北に接続して建つ。 弁天社 西大門 西園院 - 法隆寺本坊住職居所)。南大門入って左側築地塀内側にある。客殿重要文化財新堂重要文化財) - 持仏堂薬師三尊像重要文化財)、四天王像重要文化財)を安置庫裏 寺務所 上土門あげつちもん重要文化財) - 上土門はここ以外には法輪寺にしかなく、貴重である。 唐門重要文化財大湯屋重要文化財) - 西園院の西方築地塀内側にある。大湯屋表門重要文化財文庫 護摩堂 - 南大門入って右側の子院・弥勒院接して建つ。不動明王及び二童子像(重要文化財)、弘法大師坐像重要文化財)を安置聖霊院(しょうりょういん、国宝) - 西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子祀る堂。鎌倉時代建立。この建物は本来は東室一部であったが、保安2年1121年)にこれを再建する時に南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像祀った現在の聖霊院は弘安7年1284年)に改築されたものである聖徳太子及び眷属像(平安時代国宝)、如意輪観音半跏像重要文化財)、地蔵菩薩立像重要文化財)を安置太子命日旧暦2月22日中心に(現在は3月22日 - 24日)、法隆寺最大行事であるお会式おえしきが行われる。 東室(ひがしむろ、国宝) - 聖霊院の北に接続して建つ。後世補修改造が多いが、基本的に奈良時代建築で、当時僧坊建築遺構として貴重である。 妻室(つまむろ、重要文化財) - 平安時代建立東室の東に建つ細長い建物。 綱封こうふうぞう、国宝) - 聖霊院の東に建つ。奈良時代から平安初期建てられ倉庫である。 食堂じきどう国宝) - 奈良時代建立。西院伽藍の東方北寄りに建つ。食堂本尊薬師如来坐像重要文化財)は奈良時代塑像だが補修が多い。本尊以外の仏像大宝蔵院移されている。 細殿ほそどの重要文化財) - 鎌倉時代建立食堂並んで建てられている。 大宝蔵院 - 1998年平成10年完成解説既述百済観音堂 - 1998年平成10年建立東宝殿 - 1998年平成10年建立。 西宝殿 - 1998年平成10年建立中門 - 1998年平成10年建立工芸収納収蔵庫 大宝殿 - 大宝蔵院とは別の建物1939年昭和14年)の建築で、大宝蔵院完成するまではこの大宝殿で多く寺宝公開されていた。現在は、春・秋観光シーズンのみ開館し大宝蔵院展示しきれない様々な寺宝公開している。中倉 南倉 北倉 - 北倉倉庫として使われている。 東大門国宝) - 西院から東院へ向かう道筋に建つ、奈良時代の八脚門。 古材収納聖徳会館 旧富貴寺羅漢堂重要文化財) - 西院から東院へ向かう道筋南側築地塀内側にひっそりと建つ。元は奈良県磯城郡川西町富貴寺にあり、荒れ果てていたのを細川護立侯爵美術史家)がその部材引き取って保存した後、法隆寺寄進平安時代三重塔の初層のみが残ったもの思われ、初層のみが再建され羅漢堂とされた。 南大門国宝) - 西院伽藍の南方境内入口に建つ。入母屋造一重門。室町時代永享10年1438年)に当時西大門移築したもの。建築当初切妻屋根であった

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