田毎の月とは? わかりやすく解説

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たごと‐の‐つき【田毎の月】

読み方:たごとのつき

長野県更級(さらしな)郡冠着(かむりき)山(姨捨(おばすて)山)のふもとの、小さな水田一つ一つに映る月。名月として知られる。たごとづき。→姨捨山

田毎の月の画像
田毎の月のようすを描いた錦絵/画・広重 国立国会図書館

姨捨(田毎の月)

名称: 姨捨(田毎の月)
ふりがな おばすてたごとのつき
種別 名勝
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 千曲市八幡
管理団体 千曲市平成15.08.26)
指定年月日 1999.05.10(平成11.05.10)
指定基準 名3,名4,名11
特別指定年月日
追加指定年月日 平成18.01.26
解説文: 現在の境捨は,冠着山(1,252m)や三峰山(1,131m)などを中心とする聖山高原善光寺平に臨む北東面の傾斜地のうち,標高約460mから約560mの範囲展開する約25haの棚田地帯である。棚田地帯中央千曲川支流である更級川北流し三峰山から地滑りによって堆積し安山岩風化粘土混じる砂礫層をを深く浸食している。この他滑りによって発生した姥石,姪石,子袋石,甥石など顕著な巨石棚田地域散在している。
嬢捨の棚田は,元禄10年(1697)に上流大池からを導くために廃水堰を建設したのに伴って開発されたものと伝える。安永6年(1777)の大池普請(改勧)までには大池水系で約42haが開田され、明治10年(1877)には約85haにまで増加し,ほぼ現在見る棚田地域完成したものと考えられている。
姨捨の棚田地域から南に展開する冠者山を含めた姥捨山一帯は,平安時代頃から観月名所として名高く,『古今和歌集』(913年成立)に所収する「わが心なぐさめかねつさらしなや壊捨山にてる月を見て」を最古の例として,『更級日記』や『新古今和歌集』などにも月を詠んだ40余り和歌が撰じられている。天正6年(1578)の製作とされる狂言本木賊』には嬢捨の「田毎の月」が初め登場し江戸時代
なると棚田開発が不きく進展するのに伴って姥捨山だけでなく棚田一枚一枚水田に映る月かげ俳諧紀行文題材として注目されるになったとりわけ芭蕉詠んだおもかげや姥ひとりなく月の友」の俳句が,長楽寺境内遺存する明和6年(1769)の紀年銘を持つ「芭蕉面影塚」なる石碑刻まれ今日伝えられているほか、安政年間以前建立考えられる別の句碑には、江戸時代画家であった景山三千香が天保3~4年(1832~33)頃に月待ちひととき詠んだ思われる
青空田島のいろや夕日影」の俳句刻まれている。
俳諧だけでなく,「冠着山」「更級川田毎月」「姥石」「小袋石」
など,嬢捨を構成する13風景景物を措いた『信州更級郡姥捨山十三景之図』や『放光院長楽寺十三景之図』(善光寺道図会所収),あるいは観月名所として痍捨の千枚田情緒深く描く『信濃更科田毎月鏡台山』(広重六十余州名所図会所収)など,旅行紀行のための絵画テーマとしても「姥捨の田毎の月」はさらに喧伝されようになった
近代には、。平安時代物語文学である「大和物語」に題材得た井上靖の「姥捨」をはじめとして農村貧困状態背景とする老女遺棄伝説舞台として紹介されたが、堀辰雄の「姥捨記」にも代表されるように月の名としての名声衰えなかった。
上のような,鏡捨における伝統的な「田毎の月」の景観保護するためこ,姥石芭蕉の句碑などが残る長楽寺境内展望地点として,そこから望まれる四十八枚田と、姪石を展望地点として,そこからの望むことの可能な約3haの棚田地域を、それぞれ名勝指定し保存図ろうとするものである
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名勝:  妙心寺庭園  妙義山  妙見浦  姨捨  孤篷庵庭園  安養院庭園  宗隣寺庭園

姨捨棚田

(田毎の月 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 15:28 UTC 版)

長野県千曲市の姨捨棚田周辺。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

姨捨棚田(おばすて たなだ)とは、日本中部地方の、長野県千曲市八幡[gm 1](※1889年明治22年〉時の更級郡八幡村江戸時代における信濃国更級郡八幡村界隈、幕藩体制下の信州長楽寺八幡村・信州松代藩知行八幡村等)にあって、古より「田毎月」の名所と謳われてきた棚田である。姨捨の棚田[gm 2]ともいう。

「姨捨山(冠着山)」の名を冠してはいるが、この棚田の造成されている基礎にあたる緩傾斜地形が属しているのは冠着山の山麓ではなく、三峯山[1]標高1131.3メートル)の東側にある千曲高原の東側から北東側斜面に広がる扇状地状の地形であり、これを指して学術上は「姨捨土石流堆積物地形」と呼んでいる。

緩傾斜地形

姨捨棚田は、基礎にあたる緩傾斜地形の上に造成されている。この地形の成因について、主たる学説として以下の2つがある[2]

姨捨駅からの風景
  1. 三峯火山泥流説
    • 八木貞助(1943年)説(『更埴地質誌』)。約7万年前から約6万年前以降に、三峯山の東山腹で蓄積されたガスの大爆発が発生して山体の一部崩壊をもたらし、それによって生じた土石流が低所に押し出されることで形成された[2]
  2. 旧崩積土再移動説
    • 斎藤豊(1982年)説。約10万年前と推定される旧崩積土が再移動することによって形成された。長野盆地が陥没する過程で生じた旧千曲川による侵蝕面で、堆積物中の木片の放射性炭素年代測定法による分析結果では、約1万3000年前と約3000年前の2度に亘る地殻変動によって形成された[2]
姨捨駅からみた善光寺平日本三大車窓の一つ

田毎月

歌川広重『六十余州名所図会 信濃 更科田毎月 鏡台山しなの さらしなたごとのつき きょうだいさん
名所浮世絵揃物『六十余州名所図会』の第25景。縦大判錦絵嘉永5年8月1853年9月頃)刊行。
水を張った棚田の一つ一つに満月[* 1]が映り込み、これこそが古より人々を惹きつけてきた「田毎月」というもの。左手下段には中景として千曲川、同じく上段には遠景として鏡台山[gm 3]を配しており、しかしあくまで近景の田毎月が主題であることを色使いでも示している。棚田・長楽寺・姨石(おばいし)を近景に配したうえで千曲川と鏡台山と月を遠望できるとなれば、棚田以西より真東を望む画角と推定できる。なお、地形は大胆に誇張されている。
「名月の里 棚田 発祥の地」石碑
田植えの水を張る前の棚田
稲刈り

信濃国更級郡八幡(現在の千曲市八幡)に広がる棚田の水を張った水田の一つ一つに映り込む[3][4]、古くから「田毎月(たごとのつき、たごとづき)[3]」「田毎の月(たごとのつき)[4]」と謳われるほど美しいことで知られていた[3][4]。 この「田毎月」とは、長楽寺の持田である四十八枚田に映る月をいい、今も多くの地図上に名所を示す「∴」印はこの四十八枚の棚田「姨捨棚田/姨捨の棚田」の位置に示されている[gm 2]。「長楽寺 (千曲市)#文化財」も「参照のこと。

鎌倉時代歌人藤原家隆は、田毎月を歌材に「更科や姨捨山の高嶺より嵐をわけていずる月影」と詠んでいる。

千枚田とも呼ばれる上部に多くの棚田が形成されるようになったのは江戸時代からとされているが、上杉謙信が麓の武水別神社に上げた武田信玄打倒の願文(上杉家文書)に「祖母捨山田毎潤満月の影」との行があり、永禄7年(1564年)には田毎に月を映す棚田の存在がすでに広く知られていたと考えるのが相当である(なお、眼下の景観すべてが甲越両軍の12年にわたり5度戦った川中島の戦いの戦場であった)。

安土桃山時代には、豊臣秀吉が、天下に聞こえる月見(観月)の名所として「信濃更科陸奥雄島、それに勝る京都伏見江」と詠って3箇所を挙げている。負け惜しみを言いながら信濃更科の名月である田毎月を日本三大名月の筆頭に挙げたということになる。ほかにも、近世(安土桃山時代および江戸時代)には、信濃国(現・長野県)の更科、土佐国(現・高知県)の桂浜山城国(現・京都府南部)の東山を三大に挙げるものと、山城国東山に替えて近江国(現・滋賀県)の石山寺を挙げるものが見られ、これらはいずれも三大の筆頭に信濃更科を挙げている。

このように古より讃えられてきた棚田を主とする地域(長楽寺境内の一部、四十八枚田、姪石〈めいし〉地区、以上3地域)は、1999年(平成11年)5月10日、「姨捨(田毎の月)」名義で国の名勝に指定され[5]、これをもって姨捨棚田は日本で初めて文化財に指定された農耕地となった[5]。のちに上姪石(かみめいし)地区が追加指定される[5]。同年7月16日には農林水産省が選定する「日本の棚田百選」にも選出された[6][7]。また、日経プラスは、2008年(平成20年)9月6日号の1紙面で、全国に数ある月の名所の中から姨捨を第1位の「お月見ポイント」に選んでいる[8]2010年(平成22年)には、名勝指定地に追加選定地域を合わせて「姨捨の棚田」名義で重要文化的景観に選定された。

棚田の下部地域では、近年[いつ?]の道路工事(1988年)に際して弥生時代の棚田が発掘されていて、棚田周辺には小規模ながら古墳も散在しており、棚田によって一定の勢力を扶植した人々の存在が推定される。

水利

かつての棚田への水源は更級川水系源流域の湧き水であるが、その後、千曲高原にある人工のため池(大池:江戸時代の明暦年間に整備が始まり[9]、1880年頃には改修)の水を使用していた[6][10]が、夏期の渇水対策として麓を流れる千曲川の水を汲み上げる[11]と共に大池用水と併用利用している。

文化財

  • 姨捨(田毎の月) - 国の名勝。長楽寺境内、四十八枚田、石付近の棚田の3か所が指定対象になっている。
  • 姨捨の棚田 - 名勝指定地を包含する64.3ヘクタールが重要文化的景観として選定。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 旧暦8月に刊行されたことを踏まえれば、中秋の名月を想定して描いた可能性が高い。
Googleマップ
  1. ^ 千曲市八幡(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤い線で囲い表示される。
  2. ^ a b 姨捨の棚田(地図 - Google マップ) ※該当地域は「姨捨の棚田」名義で赤色でスポット表示される。
  3. ^ 鏡台山(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色でスポット表示される。

出典

  1. ^ 三峰山 日本の火山(第3版)”. 産業技術総合研究所地質調査総合センター. 2013年5月閲覧。
  2. ^ a b c 斎藤豊「長野県の姨捨土石流堆積物の成因とその形成期」『地すべり』第19巻第2号、日本地すべり学会、1982年、1-5頁、doi:10.3313/jls1964.19.2_1ISSN 0285-2926NAID 1300010077602020年8月18日閲覧 
  3. ^ a b c 田毎月”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年6月16日閲覧。
  4. ^ a b c 田毎の月”. 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂大辞林』第3版、ほか. コトバンク. 2019年6月16日閲覧。
  5. ^ a b c 歴史文化財センター 文化財係 (2015年6月8日). “名勝「姨捨(田毎の月)」”. 公式ウェブサイト. 千曲市. 2019年6月16日閲覧。
  6. ^ a b 姨捨(おばすて)【長野県】 関東農政局
  7. ^ 姨捨(更埴市)”. 日本の棚田百選. 一般社団法人地域環境資源センター. 2017年3月16日閲覧。
  8. ^ 卯月盛夫日本三景「松島」(宮城県)の自然景観と地域の生活文化を生かした新たな国際観光の創世に関する研究」(PDF)『研究助成実施報告書』、公益財団法人大林財団、2013年3月、15頁、2017年3月16日閲覧 
  9. ^ 名月を映す棚田の水源「大池」(千曲市) 長野県 農業用施設の歴史と文化
  10. ^ 竹内 常行:棚田の水利-信州姨捨, 能登輪島, 越後早川谷の場合 地學雜誌 Vol.84 (1975) No.1 P.1-19
  11. ^ 長野県 土地改良のしるべ 2000年7月号”. 長野県土地改良事業団体連合会. 2015年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月20日閲覧。

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