集団ダンス・マスゲーム
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戸倉は個人や少人数集団のためのダンスだけでなく、大集団のためのダンスも数多く手掛け、踊りを楽しむフォークダンスを紹介した。戸倉は大集団のダンスについて、「菜の花のように踊る」と表現しており、個々人が目立つようなダンスではなく、集団が心を1つにしたダンスを志向した。マスゲームの作品制作は1950年(昭和25年)以降活発化し、題材としては花・水・春を好んで採用した。所作としては、ステップを多用した柔らかな動きと円をどこかに取り入れるという特徴がある。マスゲームに使用した楽曲の3分の2は日本人の作曲によるもので、日本人の心を大事にした戸倉の性格が反映されている。 戸倉のマスゲーム作品は、1950年(昭和25年)以前、1951年(昭和26年)から1960年(昭和35年)、1961年(昭和36年)以降の3期に分けることができる。 1950年(昭和25年)以前 「総てが団体的に表現されていることを認識させる」ことを基調にしており、協同の精神を養うことを目的にするなど、当時の世相を反映した教育観を持って創作された。作品数は極端に少ないが、代表作『田毎の月』の完成度は高く、以降の作品の基礎となった。1940年(昭和15年)には、戸倉が作詞した『国民奉祝歌二千六百年』を、陸軍軍楽隊を従えて戸倉の指揮で東京女高師の生徒全員で踊る写真が残っている。 1951年(昭和26年)から1960年(昭和35年) この頃は戦後混乱期を脱し、日本人の心の余裕が出てきた時期であり、国民体育大会の開始や日本体操祭の復活があり、大会に華を添えるマスゲームがもてはやされた。花や水といった自然と季節をテーマとした作品が多く、民謡をグラウンドで踊るのに適するようにアレンジしたものも用い、マスゲーム用の振り付けを施した。 1961年(昭和36年)以降 この頃は東京オリンピック(1964年=昭和39年)を機に国際大会のためのマスゲームが盛んとなった時期であり、世界の人に「より日本的なものを見せたい」という思いから様々な角度からマスゲームを研究して作品を発表した。代表作『六段によせて「春を想う」』は、桜と扇をテーマにした作品で、日本国内外の関係者から称賛された。また歴史への興味から、古に思いを馳せた作品も発表している。
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