現代への継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:56 UTC 版)
戸倉のダンスは、お茶大や日女体の卒業生が勤務校で指導し、後任教師は彼女らから指導法や作品を教わり、学校の伝統として継承していった。戸倉のダンスが日本全国に広まったのは、『みのり』、『田毎の月』などの作品が緩和な運動で品位があり、運動会に華を添えるものとして受容されたことや、ダンスの基本要素を含み、教材としての価値が高かったことが理由である。永野順子と安広美智子は2010年(平成22年)現在の「伝統のダンス」の継承状況を関東地方の8校で調査したところ、東京女学館、北鎌倉女子学園、横浜雙葉、桜蔭、豊島岡女子学園の5校で戸倉のダンスを継承し、普段の授業や運動会で踊っていた。 ほかにも聖園女学院中学校・高等学校が1948年(昭和23年)以来、戸倉が振り付けした『ファウスト』を文化祭のメインとして継承し、栃木県立真岡女子高等学校では1965年(昭和40年)頃より戸倉のダンスに若干のアレンジを加えた『荒城の月幻想』を体育祭で伝統として継承している。日女体舞踊部は、部の紹介で戸倉のダンスを継承していると記している。
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