烏川とは? わかりやすく解説

烏川

いつの世でも、人々集う憩いの川
烏川は、その源を群馬長野県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し榛名山の西と碓氷丘陵の東の斜面境を東南方向流れ平野部入ってから碓氷川鏑川神流川西毛三大河川合わせて利根川合流してます。流域面積は470km2流路延長は61.8kmです。

高崎市を流れる烏川
高崎市流れる烏川

河川概要
水系利根川水系
河川名烏川
幹川流路延長61.8km
流域面積470km2
流域内人442,000
流域関係都県群馬県埼玉県

烏川流域図
○拡大図
1.烏川の歴史
"江戸時代倉賀野河岸は、中山道宿場町であるとともに利根川最上流の河岸として繁栄しました。烏川の舟運は、江戸からの物資輸送だけでなく、江戸文化西上州や信州、そして越後へと伝え役目果たしいました。"

利根川通じる烏川の舟運は、江戸からの物資内陸部に運ぶだけでなく、江戸文化をも西上州や信州、そして越後へと伝え役目果たしいました。時を重ねるごとに、信越方面諸大名献上する廻米物資積み出す河岸として次第成長していきました

倉賀野河岸跡石碑
倉賀野河岸石碑
上野国内に開設された約40ヵ所の河岸の中で、代表的なのが倉賀野河岸です。ここは中山道宿場町であるとともに利根川最上流の河岸でもあることから、江戸往復する荷船で、終日活気あふれていました

舟運により各地産物江戸へ江戸からの日常品地方へと流れるようになり、その最盛期には、米300積み大船含めて150余りの船を数えたと言われています。その取り扱い荷物は、主に上り塩・茶小間物・ぬか・干鰯・綿・太物類で約2万2千駄。下り荷には、米・大豆麻・紙たばこ・板貫類等、約3駄にも及ぶ船荷が、たくさんの人足とともに往来していきました
恵まれた地理条件組合組織による商い独占などによって繁栄した倉賀野河岸も、時代流れ自然現象には、抗することができず次第衰えていきました
まず第一に1783(天明3)年浅間山の砂降りで、川は浅くなり、安全な運行をはかるための船道をつくるには、あまりにも膨大な費用要しました。
第二に、享保年間ごろから、領主米の払い下げ盛んに行われるようになり、各地で米の市場発達し河岸への出荷数が次第減少していきました
そして第三に、高崎線開通によって衰退一途たどっていきました
2.地域の中の烏川
"烏川の高水敷は、運動場ゴルフ場として利用され四季通して様々なイベント開催されています。沿川各市町村開催される夏の花火大会は華麗なものです。春には、サケ見られる川を復活させようと、稚魚放流が行われています。"


 高崎市花火大会
高崎市花火大会
烏川の高水敷のほとんどは運動場ゴルフ場として利用されており、年間通してサッカー野球ラグビーゴルフ等の、スポーツ大会が行われています。また、烏川沿岸では、四季通して様々なイベント開催されています。
夏には、沿川各市町村で、花火大会開催されます。その中で規模が最も大きいものは、高崎花火大会です。北関東最大級と言われ、約15,000発の花火が、夏の夜空を華やかに埋め尽くします
春には、毎年恒例となったサケ稚魚放流が行われます利根川水系は、日本太平洋岸でサケ遡上する南限といわれています。昔は烏川や広瀬川でもサケ遡上し、産卵する光景見られました。しかし、その数は減少し昭和40年代前半には遡上がいったん途絶えてしまいましたこうしたことから、群馬県内では、昭和50年代頃からカムバックサーモン運動起こり市民団体小学生などにより河川環境美化サケ稚魚放流続けられきました


さけの放流
さけの放流
烏川では、高崎青年会議所の「ぼくらのサケ育てる会」により、12月に約5万粒のサケの卵が小中学校配られ子どもたちの手ふ化した稚魚が、3月第1日曜日に烏川和田橋下から放流されます。「単に川に戻るサケの数を増やすというだけではなく子どもたちが飼育日記をつけながら稚魚育てることで、生き物への愛着豊かな情操育んでもらえれば」と同会では考えてます。子どもたちは、こうした大自然ロマン想いを馳ながら3~5センチ稚魚に「大きくなって戻っておいで」と語りかけるよう送り出します。
3.烏川の自然環境
"烏川流域の約80%は山地になっており、上流榛名町では河岸段丘利用した栽培が盛んで果樹園広がってます。烏川流域の地質は、火山岩安山岩及び第3紀層という地質学からみて非常に新しい若い地質から構成されています。"


烏川流域の約80%は山地になっており、上流榛名町では河岸段丘利用した栽培が盛んで果樹園広がってます。烏川流域の地質は、火山岩安山岩及び第3紀層という地質学からみて非常に新しい若い地質から構成されています。これらの地質上流持っている河川は、一般的に地質風化しやすく、細かな土砂下流供給する一方空隙率も高いため、透水性保水性高く渇水時や低時でも安定した水量供給するといわれています。
烏川の源流は、水源である鼻曲山をはじめ剣ノ峰、角落山、浅間隠山などの険しい山々が源流をなしています。その北西側浅間高原接していますが、その高原地域とは、対照的な地形となってます。この地域尾根筋ブナミズナラなど、沢筋はシオジなどのとなっており、カモシカなどの姿も見られます。鼻曲山から浅間隠山にかけての稜線部は中央高原気候影響を受けるところで、カラマツ自然林新緑紅葉の美しい所です。春には、オオヤマザクラ紅紫色の花群がひときわ目立つところでもあります。夏になるとカラマツなどの林間ヤナギラン紅紫色の花が美しく咲き群れる所でもあります
4.烏・神流川主な災害
"烏・神流川における主な災害として、明治43年8月台風10号昭和10年9月台風10号昭和22年カスリン台風による被害あげられます。"



発生発生原因被災市町村被害状況
明治43年8月台風10号群馬県高崎市高崎市
床上浸水 904戸
流出家屋 23
全壊 3戸
昭和10年9月 台風10号群馬県高崎市高崎市
床上浸水 1,000戸以上
流出家屋 10
死者 7名
昭和22年9月 カスリン台風群馬県高崎市高崎市
床上浸水 686戸
流出家屋 21
死者 2名

(注:この情報2008年2月現在のものです)




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