満州での増醸酒アルコール添加法開発とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 満州での増醸酒アルコール添加法開発の意味・解説 

満州での増醸酒・アルコール添加法開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)

日本酒の歴史」の記事における「満州での増醸酒・アルコール添加法開発」の解説

日本人多く入植した満州寒冷の地であり、また入植者には青年層が多いために内地日本本国)と比べて一人あたりの清酒消費量は2倍とされていた。そのため、内地から相当量清酒移入するとともに満州国内でも酒造用米を朝鮮より移入するなどして清酒製造した。しかし、現地硬水だったこと、辺境部の酒造場や小規模酒造場では酒造適性乏し満州産米を使わざるを得なかったこと、設備貧弱な酒造場が多く腐造や火落ちなど品質問題のある酒が後を絶たなかったこと、既成日本酒現地極寒気候では凍ってしまうことなどの理由から、それら問題点解決する酒が、満州国経済部試験室を中心に研究されていた。この研究には満州北支中国華北地方)に進出した日本大手酒造場の技師杜氏参画した。1939年昭和14年)には、甘味果実酒行なわれていたアルコール添加技法ヒント得て北支青島市の『千福青島工場技師田中公一清酒醪にはじめてアルコール添加する実験行った1940年昭和15年)、満州では原料米統制が行われたため朝鮮からの移入途絶し、また内地清酒製造量が半減したため清酒移入もできなくなったこのため満州国経済部試験室の奥田美徳室長指導の下、試験室員長島長治菊地敬、佐藤友清、久高将信らが、高粱コウリャン)、陸稲、粟(あわ)、アルコールなど各種代用原料実験行ったそのなかで唯一の満足いく結果収めたのが新京現在の長春市)の『丸三興業株式会社にて実施したアルコール添加試験で、これによってアルコール添加酒の標準的な製造手法確立したこの手法では、添加するアルコール30度まで希釈して過マンガン酸カリウム活性炭濾過によって精製したものを、上槽4・5日前に、白米10石の醪につき3石から5石を加えるというものであったアルコール臭はほとんど感じことなく火落ち菌による変敗認められなかったと報告されたため、1941年昭和16年)には満州全土酒造場で実用に移された。これを満州では「第一次酒」と呼んだまた、第一次増産酒」という名称も使われた。 1941年昭和16年)、太平洋戦争始まり米不足に拍車かかった内地では、1942年昭和17年食糧管理法制定され酒造米も配給制となったこのような中『白鶴嘉納合名会社嘉納社長が、満州自社工場奉天市嘉納酒造)におけるアルコール添加酒の実績当時賀屋興宣大蔵大臣進言し、日本政府清酒増産のためにアルコール添加が最も近道考えるに至った。そこで醸造試験所1942年昭和17年11月試験醸造行い昭和17酒造年度55酒造場で試験醸造行った。このときの当局から各酒造場に対す指示事項によれば白米10石の醪につきアルコール30換算のもの5石以内白米1トンあたり100パーセントアルコール180リットル)を限度とした。これに伴い1943年昭和18年)、政府清酒原料アルコール追加できるよう酒税法改正、またアルコール酒類製造業者へ売り渡しできるようアルコール専売法を改正するなど関係法令整備おこなったこのようにしてアルコール添加による清酒増量(増醸)が実用化されたが、アルコール精製が悪いと香気損じアルコール味を残し酒の旨味ゴク味乏しくなるまた、割水すると酸が希薄になり、従来比べて ph の値がアルカリ性に傾くため、市販酒には火落ちするものも出るといった欠点生じた。これを補うため、甘味成分増強目的とする四段添加や、乳酸・コハク酸クエン酸などを添加する補酸が行われた。四段添加は、留までの総米に対して1割から2割程度分量の粳(うるち)米または糯(もち)米を醪の最高温度が余り下がらないうちに掛ける「粳四段」「糯四段」、および熟成酛(もと)を添加する「酛四段の手法があった。同1943年には酒類もすべて配給制となり、同時に日本酒もっぱら闇市場取引されるようになった。酒の闇値はほぼ半年で2倍の割合上昇していった。横流しの酒のほかに、家庭配給された酒までが換金のために闇へ流されるようになった酒蔵は、隠れて仕込んでいる酒が発覚すれば、醸造設備すべてをスクラップとして供出なければならなかった。 1944年昭和19年)には、内地の全酒造場でアルコール添加酒が製造されるようになったが、識者から日本酒の純粋性と品質低下を招くとの根強い批判があったために、大蔵省は、アルコール添加酒を原則として清酒三級として取り扱うよう通達出した添加するアルコールは、航空燃料火薬等の原料になる専売アルコール転用された。当初はおもにから作られる醸造アルコールだったが、やがて不足してくると、野山動員され小学生拾ってくるドングリまでもがアルコール製造使用された。

※この「満州での増醸酒・アルコール添加法開発」の解説は、「日本酒の歴史」の解説の一部です。
「満州での増醸酒・アルコール添加法開発」を含む「日本酒の歴史」の記事については、「日本酒の歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「満州での増醸酒アルコール添加法開発」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「満州での増醸酒アルコール添加法開発」の関連用語

満州での増醸酒アルコール添加法開発のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



満州での増醸酒アルコール添加法開発のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本酒の歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS